ARTISTS

D.A.M

D.A.M

D.A.M

D.A.Mは、2013年3月にシングル『DARK NIGHT OF THE SOUL』をリリースしたソングライター / シンガー / キーボーディストのギリュルメ・ディ・アルヴァレンガ (Guilherme de Alvarenga) のソロ・プロジェクトとしてスタートした。『Dark Night of the Soul』は、専門メディアやD.A.Mの音楽スタイルに共感したファンの間で話題となった。D.A.Mは、それぞれの作品(EP / アルバム)で主題となるものを決め、それを発展させてストーリー性を持たせる手法を用い、楽曲面ではギリュルメがクラシック音楽を学んだこともあって曲全体の構成を重視し、クラシックの作曲法とメロディック・デス・メタルという異なる2つの世界を融合させている。このアイディアは、ギリュルメが、D.A.Mとして活動する前から理想とするものだった。その融合させるというテーマはギリュルメが、大学に通う頃に浮かび上がりEP『POSSESSED』で実践した。『POSSESSED』は、ギリュルメ(Vo/Key/Program)とギターとベースを担当したサポート・メンバーのイザエル・ディ・カストロ(Izael De Castro)によってレコーディングされ、イタリアのディープ・ウォーター・レコーディング・スタジオでヴィンツェンツォ・アヴァッローネ(Vincenzo Avallone)によってミックスとマスタリングが行われた。そしてD.A.Mはファンへ向けて『POSSESSED』は、今後続く3部作(トリロジー)の第一部の序章(プレリュード)に値する部分で第一部の本篇がアルバムになると地元のメディアを通じて発表した。ファースト・アルバムは、『TALES OF THE MAD KING』と名付けられ、2013年12月に発表され、今年になって日本、ヨーロッパ、北米のファンの間でも話題となりはじめた。『TALES OF THE MAD KING』の楽曲の大半はギリュルメが2009年に作曲したものだが、2013年に作曲した「The Wizard’s Oracle」や 「Tales Of The Mad King」も収録された。レコーディングは『POSSESSED』同様、ギリュルメ(Vo/Key/Program)とイザエル(Gt/Ba)で行い、ヴィンツェンツォ・アヴァッローネによってミックスとマスタリングが行われた。また9曲目の「The Mourning For Your Absence」には女性歌手ジェシカ・デラツァレ(Jéssica Delazare)が参加した。2014年になるとEP『PHANTASMAGORIA』の制作を開始。これは、第二部の序章で今後は本篇となるフル・アルバム『THE AWAKENING』の制作を予定している。D.A.Mはメンバー探しも行いギタリストにエドゥ・メゲーレ(Edu Megale)、2014年3月に若干17歳のカイオ・カンポス(Caio Campos)をベース・プレイヤーに迎えた。 (エドゥは2014年4月に自らが主催したイベントに、ギター・クリニックで訪れていたポール・ギルバートを招いてジャムセッションを行っている。) ギリュルメはD.A.Mで活動する前に日本のアニメ・ソングやゲーム・ミュージック、J-POPやJ-ROCKをカバーするバンドYU-KI-KOでも活動してブラジルで開催されたジャパン・フェスにも出演した。また、女性ギタリストOrianthiのBe My Band Competitionに応募してキーボード部門の最終選考に残るなど今後期待できる逸材である。今秋にはEXPOMUSICというブラジリアン・ミュージック・フェアにも出演してJ-ROCKスタイルの曲を披露するという。[LINE-UP]   Guiherme de Alvarenga (Vocals / Synthesizer / Program)   Edu Megale : (Guitars)   Caio Campos : (Bass )

 


ESCAPIST

 

ESCAPIST

ESCAPIST

アルゼンチンのブエノスアイレスで2009年に結成されたシンフォニック・メタル・バンドESCAPISTは2009年にキーボーディストのイワン・デ・ノイア(Ivan De Noia)、ギタリストのセバスチャン・ディヴィート(Sebastian Divito)、女性ヴォーカリストのルチアーナ・クエイローロ(Luciana Queirolo)、ベーシストのウォルター・セゴヴィア(Walter Segovia)の4人によって結成された。セバスチャン、ルチアーナ、ウォルターの3人は、ESCAPIST結成以前はELEFENTALESというバンドを結成したが特別な活動はしなかった。また、ルチアーナはELEFENTALES以前にも’03年に5曲入り自主制作EP『IMMORTAL KISS』を、’05年にIcarus Musicよりファースト・アルバム『INTO SALVATION』を発表したシンフォニック・オペラ・メタル・バンドKAPELMAISTERで活動した。その後ルチアーナはKAPELMAISTERを脱退。KAPELMAISTERは後任にソフィア・セリーナ(Sofia Celina)という女性ヴォーカリストを迎えて活動を再開させて‘07年にデモ『PEACEFUL DAY』を制作した。そしてMこのデモでキーボードを弾いたのがルチアーナ達とESCAPISTを結成したイワンだった。 イワンはKAPELMAISTERで活動する以前はLORD KARAVANやARGENといったパワー・メタルで活動していた。2009年から活動を開始したESCAPISTは2010年5月までドラマーが不在だったものの、ブエノスアイレスのアルカトラス・オーデトリアムで初ライブを行う為、パワー・メタル・バンドIRISISやKAPELMAISTERに’03年から’05年まで在籍してルチャーナ等と『INTO SALVATION』を制作したニコラス・フェレーロ(Nicolas Ferrero)がサポート・ドラマーとして参加して初ライブを無事終えた。しかしベーシストのウォルターが脱退してしまった為、その後のライブをキャンセルすることになってしまった。イワン、セバスチャン、ルチアーノはドラマー探しに加えてベーシストも探すことになった。 2011年になるとドラマーにマックス・マゼーラ(Max Mazzera)、ベーシストにマーティン・ミシウダス(Martin Miciudas)を迎え数カ月間ESCAPISTに相応しいか2人を試した。その後、マックスとマーティンがESCAPISTに加入。ラインナップが揃ったESCAPISTは「Where Rainbows Ends」、「Shine No More」、「Knife」、「Angels Never Gone」、「Hero’s Name」の5曲を収録したデモを同年に発表した。2012年は楽曲を作りブエノス・アイレスのVirtual Recordsと契約した。その後ファースト・アルバムのレコーディングをスタートさせた。本国でファースト・アルバム『HIDDEN MEMORIES』は発売2014年になってメタル・マニアの間で話題となり日本でも発売されることになった。ESCAPISTのファースト・アルバム『HIDDEN MEMORIES』の日本盤発売にあたってバンドの代表曲「Shine No More」のアコースティック・ヴァージョンを制作。南米的な音色・フレーズを配した出来となった。

[LINE-UP]Luciana Queirolo (Soprano Vocals)   SeBastian Divito (Guitars)   Ivan De Noia (Keyboards)   Martin Miciudas (Bass)  Max Mazzera (Drums)


KNIGHTS OF ROUND

KNIGHTS OF ROUND

KNIGHTS OF ROUND

2003年初頭、YAZIN(Gt)をリーダーにKNIGHTS OF ROUNDの原型となるバンド“ODIN”が結成された。ODINは都内のライブハウスを中心に活動を開始したが2003年12月に行った“ODIN”の初ツアー「Zanarkand 2003」を最後にリーダーのYAZIN(Gt)と中心メンバーであったVocchang (Vo)が脱退し、新たにKNIGHTS OF ROUNDを結成した。度重なるオーディションの末、Tongari(Ds)、Takashit(B)、Bashikun(G)が加入した。2005年にファースト・デモCD-R『KNIGHTS OF ROUND』を発表したKNIGHTS OF ROUNDは、初の正式音源の制作を開始した。そしてデニス・ワードのマスタリングで2007年8月にファースト・アルバム『ETERNITY』を発表してツアーも行った。2008年春~夏にかけてYAZIN(Gt)とTongari(Ds)以外のパーティー(メンバー)を一新。後任として元EDENのCaz:nie(Vo)、当時LIGHTBRINGERのギタリストだったKazukun 、そしてベースにKackieがパーティーに加わり、新たな旅(活動)を始めたが、程なくしてKazukun(Gt)がLIGHTBRINGER (2011年8月脱退~現Art of Gradation) に専念するため脱退。後任ギタリストとして元MASTERPIECE のTAKEYAN が加入した。更にTongari(Ds)脱退を受けて元SLEDGEのKick-Chang(Ds) が加入した。そして新たなパーティーでのアルバム制作に入り、2010年4月にファースト・アルバム同様デニス・ワードがマスタリングしたセカンド・アルバム『THE BOOK OF AWAKENING 』をリリースした。アルバム発表後は着うた配信サイト“ギター魂”で「Time To Go」が週間ランキングで1位を獲得した。その後Kick-Chang(Ds) とKackie(Ba) が個人的な事情で脱退し、後任ベーシストに元EIZO JapanのメンバーでLOSZEALやASIAN CRACK BANDでも活動するCaesar とJuhki (Ds / IRON ATTACK!、ORIHALCON、 THOUSAND EYES…他)をパーティーに加えて同年12月に新メンバーを迎えての楽曲や、バンドのテーマ曲「KNIGHTS OF ROUND」のリ・レコーディングを含む6曲入りEP『THE GATEWAY TO NEW DIMENSION』をリリースした。このEPからは着うたサイト“ロックうた王国”で「Rainbow In The Night」が週間ランキングで3位を獲得した。2012年12月には、SQUARE ENIXのPSVITA専用タイトル『地獄の軍団』に、セカンド・アルバム『THE BOOK OF AWAKENING』に収録されていた「Reborn」を提供した。その後TAKEYANの国外移住による脱退を受けて、EIZO Japanをはじめとする数多くのプロジェクトでアレンジャー、エンジニアとして活動するほか、『THE GATEWAY TO NEW DIMENSION』ではミキシング・エンジニア担当だったRyusa (Gt &Key/ LOSZEALでも活動)が加入した。そして2013年よりニュー・アルバム『A FALLING BLOSSOM WILL BLOOM  AGAIN』のレコーディングを開始。それまでのYAZIN中心の作曲スタイルに加え、各メンバーのモチーフやアイディアを発展させる作曲スタイルを採用し、より幅広い音楽性を目指すことになった。そしてフィンランドのFINNVOXスタジオにてミカ・ユシラのマスタリングによるKNIGHTS OF ROUNDの3年振りのフル・アルバム『A FALLING BLOSSOM WILL BLOOM AGAIN』はアート・ユニオン / STAY GOLDから12月に発売されることになった。4つのパートから成る11分を超えるタイトル・トラックの「A Falling Blossom Will Bloom Again」では、まさにメンバーのアイディアが結集された仕上がりとなっている。


CRYING MACHINE

CRYING MACHINE

CRYING MACHINE

2005年に理想のハード・ロック・バンド結成の野望を胸に抱き、ほぼ同時期に田舎を飛び出してきたギタリストMasha とヴォーカリストHile が大阪で出会った。お互い別々のバンドで活動していた傍らリハーサル・スタジオでセッションを行い次第に二人は新たなバンド結成を思い描いて行くようになった。2009年4月にMashaとHileは、関西で活動していたベーシストの杉森俊幸とドラマーのASA-Youngを迎え入れ、長年Mashaのデモ制作に協力していた実兄でありキーボーディストのYosisi を呼び寄せCrying Machineを結成した。その後デモを制作しながらバンドとしての結束を固めていき、8月に『DEMO TRACKS 1』と題した自主制作CD-R を、11月には『DEMO TRACKS 2』と題したCD-R も発表した。しかし同年冬にCONCERTO MOONへの加入が決まりCrying Machineからの脱退を表明した杉森俊幸を含むラインナップでのラスト・ライヴを開催。丁度その日の競演バンドでもあったAldiousでベースを弾いていたFukoから後日コンタクトがあり、それ以前からセッションなどで彼女と交流があったMashaは2010年1月にFukoのCrying Machineへの加入を決めた。新体制となったCrying Machineはファースト・アルバム制作の為プリプロダクションを進めていたが、ドラマーのASA-Youngが方向性の違いにより脱退。4人体制となったCrying Machineは、ドラマー不在のまま自主制作でファースト・アルバム『Hundred Voltage』を完成させサポート・ドラマーを起用してライブも行った。『Hundred Voltage』はHM専門誌BURRN!8月号のアルバム・ランキングにチャート・インするなど確実にセールスを伸ばしていくと同時にギタリストMashaの存在がクローズアップされていくようになった。また8月にはLights Out Recordsのコンピレーション・アルバム『THE RED HOT BURNING HELL Vol.24』 に参加~「Crime」と「Never Give Up (Red Hot Style)」を提供した。9月になるとヴィジュアル要素も強い大阪の様式美ハード・ロック・バンドPERPETUAL DREAMERで活動していたほかセッション・ワーク やスタジオ・ワークも行っていたShunがCrying Machineの正式にドラマーとして加入した。Shunは、長谷川浩二 (THE ALFEE、TM REVOLUTION、筋肉少女隊などで活躍するセッション・ドラマー) の愛弟子でもあることは有名である。10月になるとShunを迎えて制作した2曲入り自主制作シングル『Waiting for you / Fly in the sky』を引っ提げてライヴ・ツアーを開始~11月には、LIGHT BRINGER、MinstreliXと共演したOSAKA MUSEでのライヴ  も成功させた。2012年7月になるとCrying Machineはセカンド・アルバム発売に先駆けて『DEMO TRACKS 3』と題した自主制作盤を発表した。そして9月にセカンド・アルバム『The Time Has Come』を発表した。誰もが納得するクオリティの高い楽曲がズラリと収録されたこのアルバムもまた各方面で高く評価された。10月からは大阪を皮切りに主要都市11ヶ所・全14公演のライヴ・ツアー を行い12月には初のワンマン・ライブも成功させた。Crying Machine及びギタリストMashaがより一層注目される中、Crying Machineは2013年5月に2曲入り自主制作シングル『Brilliant Future』を発表。7月28日には吉祥寺クレッシェンドにて横須賀のVRAIN とライヴを行ったほか、8月18日には目黒ライヴ・ステーションにてBLINDMANのオープニング・アクトとして1ヶ月間に2度も都内でライヴを行った。また8月24日にはCrying Machine主催イベント『Cry Out Loud』も大阪で開催した。その後アート・ユニオン/STAY GOLDと契約して『Revolution』と名付けられたサード・アルバムを2013年11月に発表した。2014年4月にドラマーのShunが上京する為に脱退。後任にHIROが加入した。

 


FLAGSHIP

FLAGSHIPは、北欧スウェーデンから登場したメロディック・ロックやプログレッシヴ&シンフォニック・ロック・シーンに旋風を巻き起こすであろうニュー・バンドだ。FLAGSHIPは、スウェーデンのメロディック・メタル・バンド、NARNIAの中心メンバーで、最近ではシンフォニック・メタル・バンド、DIVINE FIREやソロ・プロジェクト、AUDIOVISIONでも活動しているメンバーでもあるChristian Rivelと NARNIAやBRIGHTEYE BRISONのメンバーであるLinus Kåseを中心に、2002年の夏に結成されたバンドである。 この2人は共にKANSAS、STYX、BUGGLESといった先輩バンドが創りあげたメロディック・ロックやプログレッシヴ&シンフォニック・ロックに対する情熱を長い間失わずに持っていたのだった。処女航海を意味する『MAIDEN VOYAGE』と題されたこの素晴らしい作品に,多くのメロディー愛好家が、驚くことになるだろう。
Christian と Linusの2人は、いくつかのバンドが理想とし実現させているメロディーを最も重視したプログレッシヴ・ロックを演奏し、互いにアイディアを出し合い、デモ・レコーディングをスタートさせた。
その頃はまだ WINDY CITYと名乗っていたが、WINDY CITYというタイトルの曲が出来上がった後の2004年にバンド名をWINDY CITYからFLAGSHIPに変更することを決める。
Christian と Linusは、先に述べた様に、現在までに4枚のアルバムと1枚のDVDをリリースしているスウェーデンのメロディック・メタル・バンド、NARNIAのメンバーである。NARNIAといえば、作品をリリースすするごとにかなり大規模なツアーをしていて、STRATOVARIUSやCHILDREN OF BODOM、DIO、HELLOWEEN、EUROPEといったバンドと一緒にツアーをしているバンドでヘヴィ・メタルのリスナーで知らない者はいないことだろう。ChristianにとってNARNIAがメイン・バンドとなるならば、このFLAGSHIPとDIVINE FIREとAUDIOVISIONは、プロジェクト・バンドとなるはずだがChristianは、自分自身が関わった全てのバンドやプロジェクトの作品を非常に高いレヴェルにまで持ち上げることに成功していることからも判る通り、類まれなる才能の持ち主といえる。現在ChristianはNARNIAのニュー・アルバムを制作中とのことだ。LinusはNARNIAのほかにBRIGHTEYE BRISONという2001年に4曲入りミニ・アルバムをリリースし、2003年にデビュー・アルバムをリリースしているプログレッシヴ・ロック・バンドのメンバーでもある。BRIGHTEYE BRISONは、最近セカンド・アルバムのレコーディングをしたとの情報だ。 ヘヴィ・メタル・バンドとプログレッシヴな要素を含んだロックを創造しつづけるChristianとLinusの最大の共通点は、「美しいメロディーにこだわる」という点であることは彼等が過去、現在に発表した作品を聴いてもらうことでも判ってもらえるだろう。
FALGSHIPのデビュー・アルバム、MAIDENYAGEは、70年代後期から80年代前期の洋楽ロックの醍醐味がたっぷりと詰まった作品といえる。 おそらく30代前半から30代半ば過ぎの洋楽ロックのリスナーにとってこのMAIDEN VOYAGEというアルバムは、先に挙げたKANSASやSTYX、BUGGLESといったバンドやQUEEN、ASIAといったロック・ジャイアンツに出会ったときと同じ衝撃を受けると同時に近年デビューした若手バンドやアーティストの作品からはなかなか感じることが出来なかった、長年追い求めていた“ロック“の美学を再び感じ、体験することになるだろう。アルバムに収録されている曲を一曲ずつ聴いてみてもわかるとおり、各曲とも「これでもか!」と言わんばかりに繰り出される美旋律に続く美旋律、その美旋律を描きだすだけの十分なテクニックを持ったミュージシャンが、それぞれの楽器の持つキャラクターや音色を最高のテンションで聴かせている。また各曲の魅力を最大限に引き上げる優しいヴォーカルとハーモニーも素晴らしく、こういった作品こそ本来、地球上で最も高く評価される音楽であるべきではなかろうか?

FLAGSHIPは、メロディック・ロック・ファンにとってまたとない夢と希望が詰まった魅力的な音楽をこれからも聴かせてくれることだろう。


ALTARIA

アルタリア (ALTARIA)の歴史がスタートしたのは2000年に遡る。当時、ブラインドサイド(BLINDSIDE)というバンドで活動を共にしていたマルコ・プッキラ(Marco Pukkila)(B)とトニー・スメディエバッカ(Tony Smedjebacka)(Ds)が、世界に通用するバンドの結成を決めたことに端を発する。まず、マルコ・ブッキラ (Ds)の古い友人であるヨハン・マッチェス(Vo)が加入する。そして、マルコ・プッキラがソナタ・アークティカ (SONATA ARCTICA)のマーチャンダイズやフィンランド国内のツアー・マネージャーを担当していたことから、ソナタ・アークティカのギタリスト、ヤニ・リマタイネン(Jani Limatainen)を誘い4人組となる。その後、3曲入りデモ「スリーピング・ヴィジョンズ / SLEEPING VISIONS」を制作する。このデモが、各方面で好評だったことと、2001年5月に地元で行われたファースト・ギグが好評だったことから、ヤニ・リマタイネンもソナタ・アークティカをメインにアルタリアでの活動も行なうことに決める。2002年1月のギグではヴォーカリストのヨハン・マッチェスのスケジュールが合わず、メンバーの友人であったレクイエム(REQUIEM)のヴォーカリスト、ヨウニ・ニクラ(Jouni Nikula)がヘルプで参加をするが、ヨウニ・ニクラを加えた2回のギグで、メンバーは、ヨウニを正式メンバーとして迎える結論を出す。ヨウニ・ニクラ(Vo)、ヤニ・リマタイネン(G)、マルコ・プッキラ(Ds)、トニー・スメディエバッカ(B)というラインナップになったアルタリアは、2002年の春に8曲をレコーディングする。その8曲の中から4曲をセカンド・デモ「FEED THE FIRE」に収録した。また、多くの未契約バンドが登録をしているMP3.comにも登録をした。インター・ネット時代の情報伝達のはやさもあり、『アルタリア』 というバンド名は世界中のハード・ロック&ヘヴィ・メタル・マニアに浸透する。また、この年の4月には、トワイライト・ガーディアンズ(TWILIGHT GUARDIANS)をはじめ、セレスティ(CELESTY)、レクイエム(REQUIEM)といった同郷のメロディック・メタル・バンドと共に、ティー・ティー・ロックマラソン2002 (TT-Rockmarathon 2002)に出演をする。このギグから2ヶ月が経った頃に、ドイツのGer Musicaと契約を結び、多くのレーベルからオファーがかかる中、ドイツのAOR HEAVENのヘヴィ・メタルレーベル、「METAL HEAVEN」と契約をする。この年の秋にはサンダーストーン(THUNDERSTONE)のギタリスト、ニノ・ローレンネ(NinoLaurenne)をプロデューサーに迎え、ソニック・パンプ・スタジオ(SONIC PUMP STUDIO)でデビュー・アルバムの制作を開始した。アルバムの制作を進める中、アルタリアはフィンランド国内でのライヴ活動も行なっていた。2002年10月25日に、アルタリアのギグにナイトウィッシュ(NIGHTWISH)のエムブ・ヴオリネン(G)が飛び入り参加し、ナイトウィッシュでの活動をメインにそのままアルタリアでの活動も行なうことを決める。こうして、ツイン・ギター・バンドとなったアルタリアは2003年1月にファースト・アルバムのレコーディングを終了し、ミカ・ユッシーラ((Mika Jussila)によってフィンヴォックス・スタジオ(FINNVOX STUDIO)でマスタリング作業が行なわれ2003年4月にデビュー・アルバム「インヴィテイション / INVITATION」はリリースされた。その後、フィンランド国内のツアーを計画するものの、ヴォーカルのヨウニ・ニクラがレクイエムでの活動に専念するために脱退をしてしまう。ヨウニの後任に迎えられたのは、フィンランド語で歌いフィンランド国内で活動をしていた、カリピ(KALIPI)というバンドのターゲ・ライホ (Taage Laiho)だった。ターゲを迎えたニュー・ラインナップで、アルタリアは数回のギグを行い、同年10月からソナタ・アークティカとの仕事で知られるアーティ・コルテライネンとバンドの共同プロデュースでセカンド・アルバムの制作作業を開始した。また、12月になるとエムブ・ブオリネンが、ナイトウィッシュとの掛け持ちが困難となりメンバーとの話し合いの末、アルタリアを離れることになる。10月からソニック・パンプ・スタジオやケイヴ・スタジオ(CAVE STUDIO)などで進められたセカンド・アルバムの制作作業は、翌2004年2月から3月にかけてプロデュースも手がけたアーティ・コルテライネンによるミックス、ミカ・ユッシーラによってフィンヴォックス・スタジオでマスタリングが行なわれ4月にヨーロッパで発売された。 2005年になると、アルタリアはサード・アルバムのリリースを当初の秋から、2006年の春に変更をしたが、マルコとトニーは新作のレコーディングが待ちきれずに曲名も決まっていない新曲のドラム・トラックとベース・トラックを数曲レコーディングした。アルバムのリズム・トラックの大部分のレコーディングは初夏まで続いた。6月になると、アルタリアのギタリストでもあったヤニ・リマタイネンが、本業のソナタ・アークティカでの活動が多忙を極め、このままでは、「アルタリアという素晴らしいバンドの今後の活動に支障をきたす」との理由からメンバーと話し合い、アルタリアからの脱退を決意した。この件に関しては、マルコ、トニー、ターガの3人は、アルタリアを離れるヤニに向けて「我々が一緒に経験した素晴らしい日々に感謝すると共に、彼のソナタ・アークティカでのたくさんの成功を祈るのが好きであり楽しみである」とのコメントを残している。6月も終わろうとする頃、アルタリアはニュー・ギタリストにマルコやトニーと共に以前からジャム・セッションや曲作りを行ってきたフィンランドのパワー・メタル・バンド、セレスティ (CELESTY)の元ギタリスト、ユハ・ペッカ・ アラネン(Juha-Pekka Alanen)が加入したことを発表する。(注:アルタリアでは、J-P アラネン) 以前から知り合いだったJ-Pがアルタリアのギタリストの座に就くのはごく自然な流れだった。J-Pの加入が公式にアナウンスされたときには、既に数曲のリズム・ギター・トラックのレコーディングを完了していた。7月になると、サード・アルバムのタイトルが、「THE FALLEN EMPIRE」に決まり、レコーディング作業も加速し、10月にスウェーデンのブラック・ラウンジ・スタジオ (BLACK LOUNGE STUDIO)でKATATONIAやSTEEL ATTACK、SCAR SYMMETRYなどを手がけたヨナス・コイェルグレン(Jonas Kjellgren)によってミキシング、マスタリングが行なわれることが決まる。また、レコーディングにはDIOに在籍をしていたローワン・ロバートソン(Rowan Robertson)がゲストで参加し、THE LIONでギター・ソロを弾いた。ローワンの参加は、マルコが2005年11月にアメリカのVERSAILLES RECORDSからリリースされた「JUST LIKE PARADISE : A TRIBUTE TO DIAMOND DAVID LEE ROTH」というトリビュート・アルバムにローワン・ロバートソン、ヴィニー・アピス(Vinny Appice)、アンディ・エングバーグ(Andy Engberg)と共に AND THE CRADLE WILL ROCKをレコーディグしたことに端を発したことだった。アルタリアのサード・アルバム「THE FALLEN EMPIRE」のミキシングとマスタリングも10月下旬には終了し、クリスマス前にはアートワークも完成した。2006年になると、サード・アルバム「THE FALLEN EMPIRE」に収録される曲が発表され、3曲がMP3で公開された。2月になるとフィンランドのラジオ局用にVALLEY OF RAINBOWSのシングルが配布~オンエアされはじめた。そして、前作、DIVINITYから約2年、元CELESTYのJ-P アラネンを迎えたアルタリアのサード・アルバム、「THE FALLEN EMPIRE」の日本での発売は、アートユニオンのSTAY GOLDレーベルより日本盤ボーナス・トラック、METALITYを収録して4月にリリースされることが決まった。またアルタリアは、アルバム発表後にソナタ・アークティカ、ドロ (DORO)、ジョン・オリヴァズ・ペイン (JON OLIVA’S PAIN)とのショウを含む欧州ツアーを行うことも発表されている。


SAIDIAN

アリア (ARIA)という名義で活動していたキーボーディスト、マーカス・ボアー(Markus Bohr) を中心に結成されたサイディアン (SAIDIAN)は、ドイツのエスリンゲン(Esslingen)出身のメロディック・メタル期待の新人バンドだ。 2004年はじめには、ヴォーカリストに元ブレイン・ダンス (Brain Dance) の マーカス・エンゲルフリード(Markus Engelfried)、ベーシストに元ホーニー・スピード (Horney Speed) のマニュエル・グラッスマン(Manuel Glassmann)、ドラマーにドイツのパワフル・デス・メタル・バンド、カーカダン (Karkadan) に在籍していたステファン・ディットリッヒ(Stefan Dittrich)、ギタリストにシチズン・ケーン (Citizen Kane) の ロドリゴ・ブラッターズ(Rodrigo Blatters)というラインナップに固まる。この年からから彼等はSAIDIANを名乗る!SAIDIAN結成の理由は、マーカス・ボアーが創造~理想とするキーボードとギターのアンサンブルにハイトーン・ヴォーカルを加えたメロディック・ヘヴィ・メタルを実現させるためだったという。
SAIDIANは、2004年の夏にサンヴォイセン(SANVOISEN)のヴォーカリスト、ヴァゲリス・マラニス(Vagelis Maranis) が所有しているマラニス・スタジオでデビュー・アルバム、「For Those Who Walk The Past Forlorn」のレコーディング作業を開始する。その頃に PUMPやGODIVAが所属するHarbeat Media Serviceというマネージメントと契約する。マネージメントはSAIDIANの創りだすサウンド、メロディーに惹かれSAIDIANのためにレコード・ディールを探しはじめる。レコード・ディールは苦労することなく、すぐにドイツのメロディック・ロック/メロディック・メタル・レーベル、AOR HEAVEN / METAL HEAVENに決まり、「…FOR THOSE WHO WALK THE PATH FORLORN」と名付けられたデビュー・アルバムは、2005年6月にアートユニオンのSTAY GOLDレーベルとMETAL HEAVENからほぼ同時にリリースされた。
デビュー・アルバム 「…FOR THOSE WHO WALK THE PATH FORLORN」は、メロディック・パワー・メタルにマーカス・ボアーの創造する美旋律と煌びやかなキーボード・オーケストレーションが絡み世界中のメロディック・メタル・マニアから予想以上の反響を得た。また、SAIDIANは、アルバムのプロモーションを兼ねて2005年秋より、元SAVATAGEのジョン・オリヴァのニュー・バンド、JON OLIVA’S PAINとツアーを行い、互いに刺激を受け、友人となりその後もコンタクトをとることになる。その結果、セカンド・アルバム「PHOENIX」に収録されている “CROWN OF CREATION”にゲスト・ヴォーカリストとして参加をすることになった。JON OLIVA’S PAINとのツアーが終わり、SAIDIANは、セカンド・アルバムのレコーディングを開始した。レコーディングを始める前には、結成時からSAIDIANのドラマーとして関ってきたステファン・ディトリッヒが脱退してしまうが、後任に元PRIMAL FEAR / SINNER / MY DARKEST HATE)クラウス・スパーリングを迎えた。また、セカンド・アルバムのプロデューサーは、デビュー・アルバム同様、ヴァゲリス・マラニスが担当することになった。 
こうした経緯をたどり完成したセカンド・アルバムは、デビュー・アルバム同様マーカス・ボアーのキーボードから繰り出される美旋律を軸にギター・サウンドにハードさを増すと同時に楽曲のパターンも豊富になったと言える。フェニックス「PHOENIX」と名付けられたSAIDIANのセカンド・アルバムは今秋にAOR HEAVEN / METAL HEAVEN とアートユニオンのSTAY GOLDレーベルからほぼ同時にリリースされることになった。


KELDIAN

自分達の祖先、古代ノルウェー人であるケルド人、そこから思いつきケルディアンをバンド名とする旋律の魔術師達!

ノルウェー王国: 東にはスウェーデンとの国境、北東にはフィンランドとの国境、そして西側には、多くのフィヨルド があるダイナミックな自然に富んだ人口約463万人の王国。 

日本人が思い描く「美しく豊かな水に恵まれた峡湾(フィヨルド)」のそばにあり、家庭用水力発電所や、1147年に建てられた木造教会、ウンドレダールスターヴ教会 (Undredal Stave Church)などで有名なノルウェーの小さな村Aurland (アウルラン)で幼少期から友達だったChrister Andersen (クリスター・アンダーセン)とArild Aardalen (アリルド・アーダレン)という若くて才能豊な二人によって (ケルディアン)は2005年の夏に結成された。

クリスター・アンダーセン:1978年2月26日生まれの29歳。子供の頃はJETHRO TULL やPINK FLOYD を大音量で聴きいていたという。その後KISSの虜になり、IRON MAIDENをはじめとするヘヴィ・メタルのレコードを聴くようになっていったという。

アリルド・アーダレン:1980年6月25日生まれの26歳。クラシック (特にバロック)やAORを聴いて育ったという。その後は、エレクトロニカ、スペース・シンセ・ミュージック、ヘヴィ・メタル、ロック、ポップスと様々な音楽スタイルを聴いて自ら吸収していったという。「クリスターのように、ヘヴィ・メタルばかりではなくHEART、ASIA、GIANT、NEW ORDER、MADONNA、JAN HAMMER、DEF LEPPARDなどをよく聴いていた。もちろん自国のヒーローTNTやTINDRUMは聴いたし、そう、ヘヴィ・メタルならHELLOWEENとBLIND GUARDIANがベストかな。ジョン・ウェットンが僕のヒーローだし、まあ見てのとおり、80年代の音楽が大好きなんだ。」こうアリルドは語っている。

二人が楽器を手にしたもの幼いころだったという。クリスターは、ギターを、アリルドは、ピアノを弾き始め、様々なローカル・バンドやプロジェクトで活動をしていた。そんな中でもPROTOS NEMESIS (プロトス・ネメシス) というテクノ・ロック・バンドとALIEN LOVE GARDENERS(エイリアン・ラヴ・ガーデナーズ)というポップ・ロック・バンドは、比較的人気のあったバンドだったという。また、クリスターは、MADAM CURIE (マダム・キューリー) といレコード・ディールこそなかったものの、ノルウェーで1988年から1998年まで活動をし、頻繁に国内ツアーを行なっていたヘヴィ・メタル・バンドでも活動をしていた。その後、クリスターとアリルドは、バンドというコンセプトよりも、ソングライティングに重点を置いた自分達の思い描く音楽を具現化させようとプロジェクトをスタートさせた。二人の目標は、80年代の先輩バンドたちが実践した”良質な楽曲を生む”ということを第一に考えていた。もちろん出来上がった曲をレコーディングして、アルバムとして発表し、一人でも多くの人達に聴いてもらうということにも目標を定めていた。


TWILIGHT GUARDIANS

スカンジナビア半島の根本、バルト海の一番奥に位置し国の北部の約3分の1は北極圏内にある。東はロシア、西はスウェーデン、北はノルウェーと国境を接し、15万といわれる多数の湖と国土の大半を美しい森で占める国、フィンランド。

トワイライト・ガーディアンズ(TWILIGHT GUARDIANS)は、1996年の後半に、ヘルシンキの西、約100KMに位置する、フィンランド南西部の工業と貿易が盛んな街、サロ (Salo)で結成された。結成当初は、ハロウィン(Helloween)を筆頭に、ストラトヴァリウス (Stratovarius)、レイジ(Rage)、ガンマ・レイ (Gamma Ray) といったバンドのカヴァー曲を演奏していた。トワイライト・ガーディアンズは、結成した時から、「テクニカルでメロディアスなヘヴィ・メタル!」という明確なヴィジョンも持っていた。
カール・ヨハン・グスタフッソン(Carl-Johan Gustafsson)[G]、ヘンリ・スォミネン(Henri Suominen)[Ds]、ヤン・ストォルストロム(Jan Ståhlström [Vo]、トミ・ホロパイネン(Tomi Holopainen)[B]、アンティ・ヴァルタモ(Antti Valtamo)[Key]といった当時のトワイライト・ガーディアンズのメンバーは、オリジナル曲を創っていくうちに、クラシックやプログレッシヴ・ロックの要素をバンド・サウンドに加えていった。オリジナル曲で最初に誕生したのは、デビュー・フル・アルバム、『TALES OF THE BRAVE』にも収録されていた “Angel Without Wings”と “Night Of The Black Swan”だった。
トワイライト・ガーディアンズはホーム・スタジオにて、幾つかのデモを制作、結果として人々からの反応は素晴らしく、彼等はバンド活動に自信を持ったことによって正式なレコーディング・スタジオに入る。そして自主盤ながらメガ・ヒットとなったEP、『LAND OF THE KINGS』を1998年秋にリリースする。この間にヴォーカルが、ヤン・ストォルストロムからヴェサ・ヴィルタネン(Vesa Virtanen)に、ベーシストがトミ・ホロパイネンからミッコ・トォング(Mikko Tång)に交代し、より一層団結力の強いバンドへと成長していった。 発表されたEP 『LAND OF THE KINGS』は、多くの国々のファンから好意的なメールをもらうなどしてバンドの予想を遥かに上回る反応を得た。このEPはフィンランド国内ではもちろん、世界各国で評判が良かったことから、多くのレーベルが、トワイライト・ガーディアンズというバンドとの契約に興味を示した。そんな状況の中で、トワイライト・ガーディアンズは、条件の良かったドイツの Angular Records と1999年春に契約を交わした。
この時期のトワイライト・ガーディアンズにとっての活動のハイライトは、Hammerfall、Scorpions、Stratovarius…
といったメジャー・バンドと共に出演した Nummirock(’99)と 1週間 で約1000Kmに及ぶロシア・ツアーだった。
Angular Recordsと契約をしたトワイライト・ガーディアンズは、1999年夏からデビュー・フル・アルバム『Tales Of The Brave』の制作を開始して2000年にAngular Recordsから正式に発売された。このアルバムは、バロック音楽を感じさせるイントロ曲、”Eternal Glory”ではじまり、続いて疾走感を伴ったメロディック・パワー・メタル曲 “Land Of The Kings”、更にはエネルギッシュなライヴの感覚を取りいれたバンドのテーマ曲、”Twilight Guardians”など 全12曲が収録され
ヨーロッパは勿論、ここ日本の輸入盤市場でも日本のヘヴィ・メタル・ファンが最も好む”テクニカルなギター・ソロを配した
メロディック・パワー・メタル”というスタイルだった事から、インディーズ・レーベルのヘヴィ・メタル作品としては好セールスとなった。また本国フィンランドや、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国のヘヴィ・メタル専門誌やラジオでインタビューを受けたことによってバンドの知名度は更に広まる事になった。
デビュー・アルバム、『TALES OF THE BRAVE』をリリースしたトワイライト・ガーディアンズは、フィンランド国内で数多くのライヴを行なった後、セカンド・アルバムにむけての曲作りを開始した。
2002年冬から2003年春にかけてスタジオでの作曲やアレンジといった新作に向けての作業と、コンサート活動を行なっていたトワイライト・ガーディアンズだったが、2003年の夏が終ろうとする頃、セカンド・アルバムは、ファースト・アルバムをリリースした Angular Recordsとは別のレーベルからリリースすることを決断するなど、トワイライト・ガーディアンズの
身辺は大きく変ろうとしていた。そして 2003年11月に、ナイトウィッシュ (Nightwish)やソナタ・アークティカ (Sonata Arctica)といった人気バンドを世に送り出した自国フィンランドの メジャー・ヘヴィ・メタル・レーベル”Spinefarm Records”と契約を済ませセカンド・アルバムを発表する準備を進めていった。
『WASTELAND』と名付けられたセカンド・アルバムは、2003年12月に 数多くのフィンランド産ヘヴィ・メタルの作品を生み出してきた、フィンヴォックス・スタジオ(Finnvox Studios)にて ナイトウィッシュなどを手がけたミッコ・カーミラ(Mikko Karmilla) & ミカ・ユッシーラ (Mika Jussila) によってミックスとマスタリングがされる予定だったが、Wastelandのレコーディングが2004年はじめにまで延びた事と、ミッコ・カーミラとミカ・ユッシーラが、超多忙を極めていたこともあり、実際にミックス&マスタリング行なわれたのはそれから約半年後の事だった。またトワイライト・ガーディアンズは、『WASTELAND』レコーディング後に、キーボード奏者を アンティ・ヴァルタモ から “フィンガーズ・オブ・ファイアー”の異名を持つヤリ・パイラモ(Jari Pailamo)にチェンジをした。これは、アンティ自身が『WASTELAND』のレコーディングの後に、凄まじい勢いで成長していくバンドにとって自身の技量の限界を感じ、自ら決断したことだった。またセカンド・アルバム、『WASTELAND』は、Toxic Angel(トキシック・エンジェル)によるアルバム・アートワークの完成が遅れた為、2004年9月に予定していた発売を更に遅らされることを余儀なくされた。予定より遅れてようやく発表されることになった、トワイライト・ガーディアンズのセカンド・アルバム『WASTELAND』は、日本ではアートユニオンのH.R./H.M. レーベル、STAY GOLDから、オジー・オズボーンの”Bark At The Moon”をボーナス・トラックとして収録し、2004年11月11日に発売され、ファースト・アルバム『TALES OF THE BRAVE』と同様に、日本のメロディック・メタル・ファンから好意的な反応を得た。またオープニング・
トラックの“Weak Generation”は年末の格闘技TV番組の選手紹介のBGMにも使用された。
ヤリ・パイラモ(Key)を迎え、バンド結成以来ベストの編成となったトワイライト・ガーディアンズは、セカンド・アルバム発表後、フィンランド国内でのライヴ活動を開始した。ニュー・キーボーディストのヤリ・パイラモはライヴで、”Search For Grace”や”The Next Call”といった曲で聴くことができるギターとのユニゾン・プレイも無難に演奏し、トワイライト・ガーディアンズというバンドにフィットした存在となった。『WASTELAND』は、メジャー配給経路も持つSpinefarm Recordsからのリリースだったことから欧州のほぼ全域に流通され、オランダのアードショック・マガジンをはじめとするヘヴィ・メタル専門誌でのアルバム・レビューは、「楽曲の構成、メロディのアイディア、テクニカルな演奏」といった部分を含め予想以上に高い評価を得て、本国フィンランドだけではなく欧州のヘヴィ・メタル専門誌のインタビューも数多く受けた。またプロフェッショナル・バンドへのステップの一つでもある楽器メーカー (大手ドラム・メーカーのソナー (Sonor)、シンバル・メーカーのジルジャン (Zildjian)、キーボード・メーカーのコルグ (Korg)、ヘヴィ・メタル・バンド御用達のマーシャル (Marshall)…他) からの支援を受けたのもこの時期だった。
サード・アルバム用の楽曲を創っていたトワイライト・ガーディアンズは、2005年7月からフィンランドの第二の都市、タンペレ (Tampere) のファントム・スタジオ (Fantom Studio)でレコーディングをスタートさせた。このレコーディングは、『WASTELAND』のレコーディング後に加入したヤリ・パイラモ (Key) との初のアルバム・レコーディングとなった。
(注:WASTELANDの日本盤ボーナス曲のBark At The Moonはヤリが演奏) このサード・アルバムのレコーディングは、レコーディング経験の浅いヤリにとって、スタジオでの多くの作業を学び、経験することにもなった。サード・アルバムのプロデュースは前作同様、バンドによって行なわれたが、ファントム・スタジオのヘンリ・ヴィルセル (Henri Virsell)も、トワイライト・ガーディアンズに多くのアイディアを提供した。また、前作、『WASTELAND』にはジューダス・プリーストのロッカ・
ローラ(Rocka Rolla)のカヴァーが収録されていたが、ニュー・アルバムにはマドンナが1986年に発表したアルバム、『TRUE BLUE』に収録されているヒット曲”La Isla Bonita”が収録された。これは、ヴォーカリストのヴェサのアイディアとのことだ。
サード・アルバムのレコーディングは、8月中旬にドラム、ベース、ギターのレコーディングを終え、9月上旬にはすべてのレコーディングを完了した。その後、前作同様ミッコ・カーミラによるミキシング作業と、ミカ・ユッシーラによるマスタリング作業がそれぞれ行なわれ、10月下旬に約3ヶ月半に及んだサード・アルバムの制作作業を終えた。
『SINTRADE / シントレード』と名付けられたサード・アルバムには、 “Wanderer”や “Skin To Skin”、 “My Spoiled Reign”、”Room Of Shadow And Light” といったデビュー当時からトワイライト・ガーディアンズが得意とする叙情感溢れるテクニカルでメロディアスなアップテンポ・ヘヴィ・メタル・チューンや、”Still”、”Never Alone”、”Inside”といった『WASTELAND』でも聴くことができたミドル・テンポの様式美ヘヴィ・メタル・チューンのほか、メロディアスなヘヴィ・メタル・ナンバー”Flawless” 更にはプログレッシヴ・ロック的な展開とヘヴィなサウンドが一体となったメロディック・メタル・チューン”Through The Stars”といった、疾走するメロディック・メタルだけに頼ることなく、楽曲、演奏のレべルが更に進歩した
といえる作品であった。また前出のマドンナのカヴァー、”La Isla Bonita”もヘヴィ・メタル流にアレンジされていて彼等のセンスの良さが窺えた。2006年1月に欧州で発表されたトワイライト・ガーディアンズのサード・アルバム『SINTRADE』の日本盤には、ボーナス・トラックとしてファースト・アルバム『TALES OF THE BRAVE』に収録されていた人気疾走ナンバー”Last Of My Kind”と“カール・ヨハン・グスタフッソンのメロディアス&早弾きギターが炸裂する”Land Of The Kings”のニュー・ヴァージョン(共にニュー・キーボーディスト、ヤリ・パイラモを迎えて新たにレコーディングされた未発表ヴァージョン)を収録してアートユニオンのSTAY GOLDレーベルから1月25日に発売されたほか、Spinefarmの作品の北米での配給を行なっているThe End Recordsを通じて北米でも発売された。
サード・アルバム、『SINTRADE』は、収録された楽曲の良さに加え、ヴェサ・ヴィルタネンのヴォーカリストとしてのレベルが向上していたこともあり、前作を上回るセールスを記録した。また、夏には、ラテン調のマンドンナのカヴァー曲、”La Isla Bonita”が自国フィンランドのロック・ラジオ局で頻繁にオンエアされチャートでもトップ10にランクインしたほか、メンバーの旧友でミュージシャンでもあるオッシ・マンニネン(Ossi Manninen)によってビデオが制作された。日本ではボーナス・トラックとして収録された”Land Of The Kings”がJリーグ浦和レッズの試合前のスタジアムにてレギュラーで流れる曲として
選ばれている。
“La Isla Bonita”のヒットもありラジオやTVにも出演も果たす中、トワイライト・ガーディアンズは6月30日にヘルシンキのオン・ザ・ロックス(On The Rocks)でライヴを行なったほか、8月26日には、メリ-テイヨ(Meri-Teijo)で行なわれたヴェネツィアライシーン(Venetsialaisiin)フェスティヴァルに、Hanoi Rocks等と出演もした。その後、夏が去り4thアルバムの準備を開始した。
2007年になると、2月にヘルシンキのノストゥリ(Nosturi)という地元では有名なヴェニューでRoyal Huntのサポート・
アクトとしてライヴを行ない、集まったオーディエンスから喝采を浴びた。この時のライヴ・レポートはRock United.comに詳しく載っている。
新曲が揃ったトワイライト・ガーディアンズは、6月からStratovariusのティモ・トルキもプロデューサーとして名を連ねているヘルシキのSONIC PUNPスタジオに入り、Thunderstoneのギタリスト、ニノ・ロウレンネ(Nino Laurenne)によってドラムス・レコーディングを行なった。その後、元Dreamtailのギタリスト、イサ・オルイェトサロ(Esa Orjatsalo)とアシスタント・エンジニアにティモ・クイスマネン(Timo Kuismanen)を迎えて、ツーク(Turku)のNOISE CAMP スタジオで他の楽器とヴォーカルのレコーディングを行った。レコーディング作業を終えたトワイライト・ガーディアンズは、ヘルシンキのSONIC PUMP スタジオに戻り、Thunderstoneのアルバムなども手がけたジェシー・ヴァイニオ(Jesse Vainio)を迎えミックスを開始、プロ・ツール・アシスタントには、オッシ・ツオメラ(Ossi Tuomela)を迎え8月にミックスを終わらせた。アートワークも完成したが、スヴァンテ・フォースバック(Svante Forsback)によってCHARTMAKERSで行なわれていたマスタリング
作業に若干の遅れが生じ、アルバムは11月にフィンランドで発売されることとなった。『GHOST REBORN』と名付けられた通算4枚目のアルバムの日本での発売は、アートユニオンのSTAY GOLDレーベルからDeep PurpleのBlack Nightのカヴァーをボーナス収録して11月28日に発売されることが決まった。

Line-up
■ヴェサ・ヴィルタネン (ヴォーカル)
Vesa Virtanen (Vocal)
■カール-ヨハン・グスタフッソン (ギター)
Carl-Johan Gustafsson (Guitar)
■ミッコ・トォング (ベース)
Mikko Tång (Bass)
■ヘンリ・スオミネン (ドラムス)
Henri Suominen (Drums)
■ヤリ・パイラモ (キーボード)
Jari Pailamo (Keybords)


ABLAZE

ABLAZEは、RAISING FAITHで活動をしていたギタリスト、フレドリック・ヨルダニウス(Fredrik Jordanius)がRAISING FAITHから脱退し、元ZONATAのドラマー、マイケル・キャメロン・フォース(Michael Cameron Force)にコンタクトを取りフレドリック自らが思い描き理想とするアイディアでもあった『N.W.O.B.H.M.の時代から現在まで廃れることなく信念を貫き通すバンドによって守られているヘヴィ・メタルの伝統と本質に、生き物の様に独自の進化を辿るスラッシュ・メタルやデス・メタルのアグレッシヴなスタイルを上手く融合させ、且つスウェーデンらしい叙情と哀愁のメロディを保ち続けるパワー・メタルの要素も見失わない自分達のヘヴィ・メタル!』という自らが理想とするヘヴィ・メタルのスタイルをマイケルに伝えたことによって2004年春に誕生した。

 フレドリック・ヨルダニウスはRISING FAITHで活動する前は、1995年に結成されたスウェーデンのパワー・スラッシュ・メタル・バンド、FIERCE CONVICTIONのギタリストとして活動をしていた。FIERCE CONVICTIONは、既に解散をしているが、ニクラス・カールッソン(Niclas Karlsson) – Guitar [ZONATA, FRETERNIA, CRYSTAL EYES等で活動]、フレディ・ジエリンスキー(Freddy Zielinsky) – Bass [IronWareのベーシスト]、マーティン・ティランダー(Martin Tilander) – Drums [Freternia, Crystal Eyes, Soul Source等で活動]といった凄腕達が在籍していた。FIERCE CONVICTIONは、1998年に『The Requiem Of A Mourner』というアルバムをドイツのABS/CRAZY LIFEから、1999年に『Decline / Rebirth』というアルバムをABS/SHARK RECORDSから発表をした。
その後1998年に結成されたスウェーデンのパワー・メタル・バンドRISING FAITHに加入したRISINGFAITHは、フレドリックの他、トニー・ジェランダー(Tony Gelander) – Drums [Justifiedで活動]や、クリスティアン・ウォーリン(Kristian Wallin) – Vocals [Morifadeで活動] といったメンバーが在籍をしていた。RISING FAITHは、1999年にデモ『DEMO99』を制作.~2000年にEP『IMAGINATION』を発表した後、2003年にドイツのメジャー・ヘヴィ・メタル・レーベル、LIMB MUSIC PRODUCTS と契約し、アルバム、『ARRIVAL』を発表。『ARRIVAL』は、ツイン・ギターを配した80年の香りのする正統派北欧パワー・メタルだったことからFRETERNIAやSTEEL ATTACKといったバンドと比較され、日本の輸入盤市場でもヘヴィ・メタル・マニアの間で話題の作品となった。
またマイケル・キャメロン・フォースが在籍していたZONATAは、1998年に結成されたスウェーデンのメロディック・パワー・メタル・バンドでMCD『The Copenhagen Tapes』がきっかけとなり、各種ヘヴィ・メタル~ハードコア系の作品を世界に送り出すCENTURY MEDIAと契約をして1999年にアルバム『TURNS OF STEEL』でデビュー。その後『REALITY』(’01)、『Buried Alive』(’02)を残して2003年春に解散をしたバンドだ。ZONATAのアルバムは日本でも発売されたこともあり、メロディック・パワー・メタル・ファンを中心にかなりの知名度がある。
 2004年5月になると フレドリック・ヨルダニウスとマイケル・キャメロン・フォースは、ABLAZEのサウンド創りとソングライティングを開始した。その後、フレドリックとマイケルはギターとドラムだけで4曲レコーディングすることを試みてABLAZEの求めるサウンドや方向性を確認した。破壊力に満ちたスラッシーなリフとクラシカルなフレーズを取り込んだメロディアスなソロを奏でるフレドリックと、楽曲に十分すぎるほどの疾走感を生み出す激速ツイン・バス・ドラムと手数の多さに加え的確なドラミングに定評のあるスウェーデンのヘヴィメタル・シーン屈指のハード・ヒッターであるマイケルの2人はバンドとして活動していくにあたりベーシストとヴォーカリストを探しはじめた。そしてオーディションを行なっていくなか、 フレドリックとマイケルは2人の以前からの友人でもあり、プロとしての経験も豊富な パシ・ヒュムッピ(Pasi Humppi)にレコーディングのみという目的で参加要請をした。(現在もABLAZEに在籍)
ベーシストにはラウドでパンチの効いたヘヴィサウンドを生みだすルーカスズ・ストラック(Lukasz Strach)を迎え、レコーディング・ラインナップは固まった。
パシ・ヒュムッピは、1998年にデモ『The Blood Of Mortals』を、2000年にSplit CD (もう一つのバンドはPersuader)を発表したのに続き、スウェーデンのLoud n’ Proud Recordsから『Warchants & Fairytales』(’00)、2002年にはスペインのArise Recordsから『A Nightmare Story 』という2枚のフル・アルバムを発表している1998年に結成され現在は解散をしているスウェーデンのメロディック・パワー&スピード・メタル・バンド、FRETERNIAに1999年からリード・ヴォーカリストとして参加したほか、1998年にパシとギタリストのニクラス・モーラー(Niklas Moller)を中心に結成され『Tales From A Twisted World』 (’98/Demo)、『Return Of The King 』(’00/Demo)、そしてフル・アルバム、『Break Out』 をドイツのメジャー・ヘヴィ・メタル・レーベルLimb Music Productsから2003年に発表したものの現在は活動停止中となっているスウェーデンのメロディック・パワー・メタル・バンド、 IRONWAREのリード・ヴォーカリストとしても活動をしていた。その後、ABLAZEの活動と並行してCROMONICというバンドでも活動を開始した。日本において彼に対する評価は賛否両論だが、自国スウェーデンとヨーロッパのパワー・メタル・シーン、世界各国のヘヴィ・メタル・ファンの間ではヘヴィ・メタルを歌うには十分な声量と高音中心の唱法、さらにキメのシャウトのカッコよさからスウェーデン屈指のパワー・メタル・シンガーとして位置づけられている。
スウェーデンのパワー・メタル・シーンを代表するヴォーカリスト、パシ・ヒュムッピとルーカスズ・ストラック迎えフル・ラインナップとなったABLAZEは、2004年後半に『A』と名付けたられた3曲入り自主EPをマイケル所有のCAMERON FORCE STUIDIOでレコーディングした。この自主EPにはZONATAのヨハネス・ナイベリ(Johannes Nyberg)がヴォーカル・アレンジャーとして関っている。
NEED、THE DYING、MARIONETTEと名付けられた3曲を収録した『A』は国内・国外問わず数えきれないほどの多くのレコード・レーベルや音楽誌に送ったほか、ABLAZEのオフィシャル・ウェブサイトでも公開された。破壊力に満ちたスラッシーなリフ&リズムにメロディアスなソロを加えたABLAZEの『A』を受け取ったレコード・レーベルからの反応はバンドの予想を遥かに上回る好意的なものだった。その中で、ヨーロッパや北米・マーケットで受け入れられるには十分すぎるほどのアグレッシヴさと日本のマーケットでも通用するメロディを兼ね備えたABLAZEのスタイルやメンバー各々の経歴、ミュージシャンとしての技量に興味を持った東京のアートユニオンのSTAY GOLDレーベルが、2005年3月にアルバム2枚分のワールド・ワイド契約をした。その後ABLAZEはアルバム制作を開始する前にツアーを行なったが、ツアーの中盤に結成メンバーでもあるマイケル・キャメロン・フォースがヨハネス・ナイベリ(ex- Zonata,、Crystal Eyes、Entelbelegria[G])、 Sentorianのヴォーカリスト、マーカス・"マッカン"・ナイグレン(Marcus “Makkan” Nygren)、Entelbelegria、Ibidiahで活動するベーシスト、スウェード(Swede)等とENBOUNDというメロディック・メタル・バンドで活動するために脱退をしてしまう。また、マイケル・キャメロン・フォースはEntelBelegria, Kabatoa, Mike Jacksonといったバンドでも活動をしている。
 ドラマーを失ったABLAZEは、Morted, Project や Kökafuniで活動をしていたオスカー・ランボィェヴ(Oskar Lumbojev)にコンタクトを取りオーディションを行いマイケルの後任に迎えた。さらに、ベーシストのルーカスズが病を患い、バンド活動が困難となりフレディー・ジエリンスキー(Freddy Zielinski)にアルバムでのベース・パートのレコーディングを依頼した。フレディはフレドリックのプロ・デビューとなったFIERCE CONVICTIONのベーシストでパシとはIRONWAREで活動を共にしていた。
2006年4月からOLD CRAP RECORDINGSでスタートさせたデビュー・アルバムのレコーディングはベーシック・トラックを夏までにレコーディングし、11月に全てのレコーディング作業を終了させた。レコーディングには、グロウルス/バッキング・ヴォーカルとしてマティアス・リンドストロム(Mattias Lindstrom)が参加している。
レコーディングを終えたABLAZEは、リーダーのフレドリック・ヨルダニウスの友人でもあったアンディ・ラ・ロック(Andy La Rocque)にミックスを依頼した。アンディはKING DIAMONDのギタリストとしての活動のほか、DEATHのIndividual Thought Patternsをはじめとする多くのヘヴィ・メタル系作品でリスナーを魅了する素晴らしいギター・ソロを披露している。更に多数のヘヴィ・メタル系の作品を手がけてもいる。そしてフレドリック・ヨルダニウスは12月にロサンゼルスに飛びアンディ所有のスタジオ、LOS ANGERED RECORDINGSでアンディの元でミックスを行なった。更に2007年4月にはマスタリングが、Tailor Maid ProductionsでDARK TRANQUILITY、MESHUGGAH、HELLFUELED等を手掛けたピーター・イン・デ・ベトゥー(Peter In De Betou)の手で行なわれた。その後、スウェーデンのCGプロトファイロ・アーティスト、ヨナス・パーッソン(JONAS PERSSON)によるアート・ワークが完成し全てのアルバム素材がアートユニオンに送られてきた。『REAPERBAHN』と名付けられたABLAZEのデビュー・アルバムは、ABLAZEとアートユニオンのSTAY GOLDレーベルで協議された結果、2007年秋から海外でのレーベル、配給先を探しを開始した。アルバムに対する好意的な意見も各国のレーベルから寄せられる中、日本での発売は12月に決まった。


MASTERSTROKE

MASTERSTROKE(マスターストローク)は、フィンランドのタンペレ(Tampere)をホーム・タウンとするヘヴィ・メタル・バンドだ。結成されたのは2002年の春で、現ヴォーカル兼ギタリストの ニコ・ラウハラ (Niko Rauhala)と現ドラムスのヤン・ユウティネン (Janne Juutinen)によって結成された。MASTERSTROKEを結成する前は、2人共DIMENSION (ディメンション)、CRYSTALIC (クリスタリック)というローカル・バンドで活動をしていた。
MASTERSTROKEの結成から数ヶ月が経った2002年夏に、彼らはファースト・デモ、『フェイシング・ザ・トゥルース / Facing The Truth』を制作する。このときのラインナップは、結成メンバーでもあるニコ・ラウハラ (Vo/G)とヤン・ユウティネン (Ds)に、アルト・ティッサーリ / Arto Tissari (ベース : 元SHAMAN~KORPIKLAANI~CRYSTALIC) と、ラミ・ケロォネン / Rami Keränen (バッキング・ヴォーカル) を加えた4人で行なわれた。 ファースト・デモ、「フェイシング・ザ・トゥルース」には、「Nothing Lasts Forever」, 「Shadow Of Death」、「Forevermore」 の3曲にボーナス・トラックを加えた4曲が収録された。
ファースト・デモを制作したMASTERSTROKEは、2002年10月30日にDREAMTALE (ドリームテイル) と CELESTY(セレスティ) のオープニング・アクトとしてファースト・ギグを地元タンペレのヨタロ・クラブで、ファースト・デモのレコーディングと同じラインナップで行なった。この後、マスターストロークに、DREAMTALEで活動していたキーボーディス、トミッコ・ヴィヘリォロ (Mikko Viheriälä) が加入する。
更に2003年はじめには、元DECTERA(デクテラ)のマーカス・ケコニ (Markus Kekoni) をギタリストとして迎え、ヴォーカルも兼ねるニコ・ラウハラとのツイン・ギター・バンドへと変化を遂げた、そして2003年の夏には、ミッコ・ヴィヘリォロとマーカス・ケコニを加えたニュー・ラインナップで、セカンド・デモ、『チルドレン・オヴ・ザ・ウォー / Children Of The War』を制作する。セカンド・デモには、彼らのデビュー・アルバム、『アポカリプス / APOCALYPSE』のオープニング・トラックでもある、劇的メロディック・パワー・メタル・チューン「Evil Forces (Never Die)」のほか、ミドル・ヘヴィ・チューンの「Children Of The War」、メロディック・メタル・チューンの「Eye Of The Needle」の3曲が収録された。またタイトル・トラックの「Children Of The War」のみ2001年にドイツのMTMからInvitationというアルバムをリリースした、SNAKEGOD のヤリ・ティウラ(Jari Tiura) がリード・ヴォーカルを担当した。(ヤリは、Evil Forces (Never Die) とEye Of The Needleではバッキング・ヴォーカルを担当)。セカンド・デモ、『Children Of The War』を完成させたMASTERSTROKEは、2004年春にヤリ・ティウラをリード・ヴォーカリストに迎え6人組バンドとして活動していくことになった。歌の上手さでは高く評価されていたヤリ・ティウラを迎えたMASTERSTROKEは、2004年4月に、サード・デモ、『レイニー・デイズ/RAINY DAYS』を制作し5月に発表した。サード・デモ、『レイニー・デイズ』には、「Calling」、「Rainy Days」、「Children Of The War ’2003」の3曲が収録された。しかし、サード・デモのレコーディング後、キーボードのミッコ・ヴィヘリォロがMASTERSTROKEからの脱退してしまう。キーボード・プレイヤーを失ったMASTERSTROKEは、後任にユッシ・クロマー (Jussi Kulomaa)を迎える。ユッシは、DEEP PURPLEやRAINBOWのカヴァー・バンド、BURN(バーン)や RAUTAVIRTA(ラウタヴィルタ)というバンドで活動をしていた。ニュー・ラインナップになったマスターストロークは、2004年の8月から月に1回ほどのペースでライヴを行い、地元のヨタロ・クラブではライヴのビデオの撮影が行なわれ、2004年11月に14曲入りデモ・DVDとして発売された。また、フィンランドのJMT-MUSICの制作したコンピレーション・アルバム、『POWER FROM THE UNDERGROUND Vol.2』に「Calling」を提供した。
しかしマスターストロークのほかにも幾つかのバンドやプロジェクトを掛け持ちしていやヤリ・ティウラが、MICHAEL SCHENKER(MSG)の2004年11月の英国ツアーに参加することを発表~翌2005年2月には、ヤリが自らが、「多忙の為、自分がヴォーカリストとしてMASTERSTROKEに在籍していると今後の彼らの活動に支障をきたす」との理由でMASTERSTROKEからの脱退を決意する。
リード・ヴォーカリストを失ったMASTERSTROKEは、後任ヴォーカリストを迎えることなく、結成時にリード・ヴォーカルも担当していたニコ・ラウハラが再び歌うことに決め、6人編成から再び5人編成へとなった。結成以来デモの制作とライヴ活動を繰り返してきたMASTERSTROKEは、ニコ・ラウハラ(Vo/G)、マーカス・ケコニ(G)、ヤンネ・ユーティウネン (Ds)、ユッシ・クロマー(Key)、アルト・ティッサリ(B)の5人でデビュー・フル・アルバムのレコーディングを2005年3月から開始した。アルバムのレコーディングは、ドラムとベースをフィンランドのオリマティラ (Orimattila)にあるオリヴィル・スタジオ (Oriville studio)で、ギター、キーボード、ヴォーカルを地元タンペレのMSTRスタジオで行なった。アルバムのプロデュースはバンド自らが行い、ミックスはキーボードのユッシ・クロマーによってオリヴィレ・スタジオで、マスタリングをチャートメーカーズ (Chartmakers)にてスヴァンテ・フォースバック (Svante Forsback)が行ないアルバムは完成した。アルバムではアルトがベースを弾いているが、アルバムのレコーディング後に、他のバンドでも活動していた彼はMASTERSTROKEを離れてしまう。アルトの後任ベーシストには、STATUS MINOR(ステイタス・マイナー)というバンドで活動していたマルコ・コールマイネン(Marko Kolehmainen) を迎えることにした。完成したMASTERSTROKEのデビュー・アルバム[『アポカリプス』は、ヤンネのツーバスから繰り出さされるパワフルなドラミングをベースに、ニコのアグレッシヴなヴォーカル、マーカスとニコのメロディアスなソロ&リフ、その総てを包み込むと同時に透明感を漂わせるユッシのキーボード・オーケストレーションが一体となったオープニング・トラック、「Evil Forces (Never Die)」をはじめ、メロディック・メタル・チューン「I’ll Take My Life」、「Calling」、「Eye Of The Needle」やヘヴィな「Children Of The War」、プログレッシヴな「Theater Of Madness」、「Seven Deadly Sins」、ユッシのクラシカルなピアノとチェロによるインスト曲「Memory Of…」を収録したヘヴィ・メタル・バンドによるヘヴィ・メタルらしいアルバムとなった。 また、「Rusty Angel」で聴くことのできる暗く、重く、透明感に満ちたメロディはフィンランドのバンドならではの深みのある楽曲に仕上がった。
またアルバムのレコーディングを先に終えていた、ドラムスのヤンネは、自国のギタリスト、エリアス・ヴィルヤネン (Elias Viljanen)のアルバムで3曲に参加した。そして、9月にはシングル『シアター・オヴ・マッドネス / Theatre Of Madness』をコンサート会場のみで販売した。この時点で、MASTERSTROKEの制作したデモ、DVD、シングルは、すべてソールド・アウトとなっていた。
バンド結成から4年、ヴォーカル・レベルの向上など反省点は残すものの、MICHAEL SCHENKERにその実力を認められたヤリ・ティウラ(Vo)、元DREAMTALEのミッコ・ヴィヘリォロ (Key)、KORPIKLAANIにも参加したアルト・ティッサリ(B)といった実力派ミュージシャンが関わってきた正統派の意思を受け継フィンランドのメロディック・パワー・メタル・バンド、MASTERSTROKEは、2005年11月に自国フィンランドのJMT-MUSICと契約~念願のレコード・ディールを手にした。そしてMASTERSTROKEのデビュー・アルバム『APOCALYPSE』は、アート・ユニオンのSTAY GOLDからボーナス・トラック[METALSTORM]を収録して2006年3月に先行発売された。
ところが、バンド及び古くから応援していたファンもヨーロッパでの発売を心待ちにしていたが、なんと契約したJMT-MUSICが活動を停止してしまい、MASTERSTROKEのデビュー・アルバム『APOCALYPSE』は暫くの間、日本からヨーロッパに輸出されることとなった。その後『APOCALYPSE』はロシアで発売された。
自国での契約が取れないまま活動を続けたMASTERSTROKEだったが、このことを逆手に奮起し、2006年にはライヴ活動と新しい楽曲を創る作業をおこなった。ライヴでは、新曲も試されファンからの反応を受け止めてMASTERSTROKEは、より一層アグレッシヴなメロディック・、メタル・バンドへと変わろうとしていた。そんな中で、「Bring Me]、「Killing Creatures」、「The Circle」、「Final Journey」の4曲をまず完成させ、これら4曲を収録したプリプロダクションCDを2006年秋から2007年はじめにかけて各国のレコード・レーベルに送り意見を伺った。シリアスな意見をいくつかのレーベルから得たMASTERSTROKEはニュー・アルバムのレコーディングまでに何度も楽曲を煮詰め直したほか、「Turn Away」,「Another Failure」、「Sleep」、「Under Our Commands」といった曲を仕上げていった。楽曲を揃えたMASTERSTROKEは、まずファントム・スタジオ(Fantom Studio)でサム・オイティネン(Samu Oittinen)とキーボーディストのユッシ・クローマをエンジニアに迎えてドラムのレコーディングを開始した。ドラムスのヤンネは、ニュー・アルバムはスケールの大きなパワー・メタル・アルバムなのでミドル・テンポの曲でのリズム・キープやリズム・チェンジ、ヒットさせるタイミングを遅らせるといった面でレコーディングは大変だったと語っている。その後、MSTRスタジオで残りの作業を進めていった。またレコーディングには地元タンペレを拠点に活動をしている”MOONMADNESS”(Deep Purple~Rainbowタイプのバンドで2008年にアルバム発売予定)の女性ヴォーカリスト、Heidi Bergbacka(ヘイディ・バーグバッカ)もゲスト参加した。そして、念願だった自国のレーベル”DYNAMIC ARTS RECORDS”と契約をして、まず[Turn Away」のシングルを2007年10月に発表した。そして、セカンド・アルバム『スリープ / SLEEP』を発表することになった。日本ではファースト・アルバム同様、アート・ユニオン/STAYGOLDから日本盤ボーナス・トラック「Convicted」とシングル『TURN AWAY』に収録されていた、”(I Just)Died In Your Arms” (オリジナルは、イギリスのロック・バンド、CUTTING CREWが1986年に発表したアルバム、BROADCASTに収録。1987年5月2日付ビルボード・シングル・チャート第1位、年間シングル・チャート32位) のカヴァーを収録して3月に発売されることになった。
また4月から5月にかけて自国フィンランドを皮切りにノルウェー、デンマーク、イタリア、スペイン、オーストリア、ドイツ、オランダをまわるヨーロッパ・ツアーを行うことも決まった。このツアーは、フィンランドは単独公演(予定)、ノルウェーはFINNTROLL、KREATORのサポート、その他の国は、アメリカのJON OLIVA’S PAINとデンマークのMANTICORAのサポートでステージに立つという。古くからのファンや各国のレコード・レーベルの意見をもとに、オーソドックスなメロディック・パワー・メタルからの脱却を企て、印象的なコーラス&メロディが、圧倒的なパワーとアグレッシヴなサウンドを称えるかのように渾然一体となり、アトモスフェリックな要素も加えた”Predator Melodic Power Metal”を掲げるMASTERSTROKEの進撃が今まさにはじまろうとしている。


DARK EMPIRE

の結成は、ギタリストのマット・モリティ(Matt Moliti)が、自らが目標とする”パーフェクトなヘヴィ・メタル・バンド”の縮図を思い描いていた2004年の冬にまで遡る。
当時、ニューヨークのロングアイランドに住んでいたマット・モリティは、パワー・メタルやスラッシュ・メタルに多く見られる攻撃的で突き刺すような鋭いギター・リフとクラシカルなフレーズを交えたテクニカル&メロディアスなギター・ソロをサウンドの核とし、エネルギッシュでアグレッシヴなスタイルでありながらもメロディアスで感情を込めた歌が歌えることができるヴォーカリストと共に真のヘヴィ・メタル・バンドを結成しようと考えていた。
RAGEやSYMPHONY Xに影響されたというマット・モリティは、13歳のときからギターを弾きはじめ、ニューヨークのバークリー音楽院に通いはじめた。そこでは、イングヴェイ・マルムスティーンなどと比較をされた速弾きギタリストとしてヘヴィ・メタル・ファンの間では有名な、ジョー・スタンプのもとでレッスンを受けたという。その後、マット・モリティは作曲をはじめ、友人達やプロデューサーでもあるジェレミー・クラル (Jeremy Krull)ともにバンド活動や創作活動をするようになり、DARK EMPIREの結成に向けての第一歩をふみ出した。
その後、数ヶ月間は、DARK EMPIREのフロントマン探しに奔走した。マット・モリティは、ローカル・シンガーを何人も試してみたが、自らが理想とする”ヘヴィ・メタル・ヴォーカリスト” には巡り合えなかった。ヴォーカリスト探しはマットが、あるバンドに出会うまで続いた。そのバンドとは、スウェーデンのLoud ‘n’ Proudから2000年にファースト・アルバム『THE HUNTER』を発表。”The Young Metal Gods Contest” で最優秀賞に輝いて2004年にNOISEからアルバム『EVOLUTION PURGATORY』を発表したスウェーデンのパワー・メタル・バンド、PERSUADERだった。(PERSUADERはその後、Dockyard 1からサード・アルバム、『WHEN EDEN BURNS』 (’06) を発表~現在も活動中) PERSUADERの強力な楽曲を耳にしたマットは、イエンス・カールソン(Jens Carlsson)というヴォーカリストに興味を持ち、イエンス・カールソンこそDARK EMPIREのサウンドにフィットすると確信し、すぐさまコンタクトをとった。E-MAILでのやりとりも順調に進みイエンスを含むラインナップでDARK EMPIREのファースト・レコーディングを行うことになった。更にマットはDARK EMPIREのスタイルに合ったベーシストとドラマーを捜しはじめた。そこでマットは、「PROG POWER V」で出会ったノア・マーティン(Noah Martin / 元、AVIAN(Nightmare(アメリカ)/Massacre (ドイツ)からもアルバムを発表しているU.S.パワー・メタル・バンド)の他、ゴシック・ブラック・ッフォーク・メタル・バンドLILITU、U.S.プログレ・パワー・メタル・バンドSUSPYRE…他、現在はメロディック・デス・メタル・バンドARSISで活動)をベーシストに迎えた。そしてドラムにはフィンランド人のフュージョン系ドラマー、テーム・ターカネン(Dig他で活動)を迎え、最初のレコーディング・ラインナップは固まった。
マット・モリティとノア・マーティンの北米に住む2人は、ギターとベースのレコーディングをマットのホーム・スタジオで行い、イエンスとテームの北欧在住2人は、スウェーデンとフィンランドでそれぞれレコーディングを行った。全てのパートのレコーディングが終わりプロデューサーでもあるジェレミー・クラルがニューヨークでミックスを、ゲイリー・フルトンがコネチカットでマスタリングを行った。
しかし、DARK EMPIREのスタイルが、欧州型のメロディック・パワー・メタルだったことと、歌詞の内容もファンタジーや運命といったことが中心だったこともあり、北米には、興味を示すレーベルがなかった。その結果6曲入りアルバム、『DISTANT TIDES」は2006年4月25日に自主流通という形で発表された。
またDARK EMPIREは、『DISTANT TIDE」に先行する形でデジタル・シングルとして”NORTHERN SKY”をウェブ上で公開をした。
北米では、冷たい態度をとられた、DARK EMPIREの6曲入りアルバム『DISTANT TIDES』だったが、ヨーロッパでの評価は日々高まっていき、ヘヴィ・メタルの専門誌、ウェブジンなどでも常に注目のバンドとして扱われた。更に隣国カナダのウェブジンでも『DISTANT TIDES』は9.5/10ポイントと高評価を得た。また、マット・モリティのネオ・クラシカル・プレイの連続とイエンスのパワー・ヴォーカルが合体したスタイルは、日本のヘヴィ・マニアの間でも話題となり、輸入盤CD店でも好セールスとなった。
この時点で、ギタリスト”マット・モリティ”と接触していた東京のアートユニオンも、『DISTANT TIDES』の日本での核売に協力したほか、DARK EMPIREの2007年に発表を予定していた、フル・アルバムの日本での発売にも協力する方向でいた。


PROFUGUS MORTIS

2001年にギタリストでリーダーのテリー・ディシェンス、女性ドラマーのジャスティン・イーシアー、ヴォーカリストのアルキンによって活動を開始-。その後オーディションでベーシストにモードレッド、セカンド・ギタリストにアエジス、キーボーディストにケレオスを迎えた。2003年8月にOBSCURCIS ROMANCIA とコンサートを行った後、アエジスが脱退~後任に才能豊かな女性ヴァイオリニスト、エミリー・リヴァーノを迎えた。この頃からPROFUGUS MORTISの音楽性もフォークやデス・メタルのカラーを濃くしていった。しかし、キーボーディストのケレオスが個人的な理由で脱退~後任キーボーディストにはRHAPSODY OF FIRE (特にRHAPSODY時代)、SONATA ARCTICAといったメロディック・パワー・メタル・バンドをフェイヴァリットに挙げるジョナサン・ルフランソワ・ルデュクを迎えた。その後MORPHOSEをサポートに迎えたヘッド・ライナー・ショウを終え、スタジオに入り、ケベックのスラッシュ・メタル・バンド、SPASMEのギタリスト、ヤン・アンドレ・シェニエールとデモ、『UNITED UNDER A SHADOWED NIGHTSKY』を制作。タイトル・トラックは後に再レコーディングされて2004年1月にシングル化された。 その後もライヴ活動を積極的に行ったが、2004年8月にバンド内で度々問題を起していたアルキンと別れることになった。そして、9月にアルキンを含むラインナップでの最後のショウを行った。それから間もなくしてベーシストのモードレッドが、個人的な理由でバンドを脱退。2つのスポットを埋めるべく、PROFUGUS MORTISは、幾度となくオーディションを行った。オーディションでポール・アブレイズ(Vo)とエティエンヌ・メイルークス(B)を迎え、2005年1月、地元のMOONLYGHTやSAPHIRと共に行ったライヴで「この6人が一緒にプレイすることによって何か凄いことになる!」 とメンバー全員が感じたという。ライヴでの勢いそのままにジョナサン宅の地下室でプロモ音源の制作を行った。更に2005年7月22日~23日には、地元のタレント・エージェント、”EUPHORIA PRODUCTION”の主催でKATAKLYSMをゲストに迎た若手バンドによる、バンド対決を含む24時間ヘヴィ・メタル・フェスティヴァル「エクストリーム・ディストーション・フェスティヴァル」に出演し見事に一等賞を獲得。2006年になるとファースト・アルバムの制作を開始した。これは、まず2月にスタジオ・ニコで元DESPISED ICONのギタリスト、ヤニック・セイント・アマンドをエンジニアに迎えドラム・レコーディングを開始。3月になると、JFDスタジオでKATAKLYSMのギタリストで音楽プロデューサーでもある ジーン・フランソワ・ダジュネと共にスタジオに入り、ドラム以外のレコーディングを終了させた。レコーディングには、元NEURAXISのメイナード・ムーアもゲスト・ヴォーカルで参加した。ミックスは、ヤニック・セイント・アマンドによって行われ、マスタリングは、HATEBREED、SHADOWS FAL、THE DILLINGER ESCAPE PLANの作品を手掛けたアラン・ドゥーシュによってニューヨークで行われた。こうしてPROFUGUS MORTIS待望のファースト・アルバム、『…SO IT BEGINS』は完成した。レコード・ディールを探す間もYNGWIE J MALMSTEENをはじめ、LACUNA COIL、FINNTROLL、SODOM等のサポート・バンドとしても演奏する機会を得た。そしてレコード・ディールも地元ケベックのPRODISKに決まり、2007年3月27日に『…SO IT BEGINS』はカナダ国内で発売された。インターネット上で異常なほど話題となったこの作品は、日本のマニアの間でも評判となった。その後、早くも次のアルバムにむけてデモの制作を開始~7月には「IN TIME」がMyspaceで公開された。8月なると、INTO ETERNITY (カナダ)のサポートを含むライヴを数回、9月にはFINNTROLL(フィンランド)のケベック公演にもサポート・アクトとしてステージにあがった。10月になると、ケベックのINSECTとツアーを行い11月3日にはオンタリオ州で開催されたKITCHENER WATERLOO METAL FESTに出演した。更にフィンランドのENSIFERUMのカナダ・ツアーで11月11日のハミルトン公演でサポート・アクトとしてステージにあがった。2008年になると、ヴァイオリニストのエミリーがモチベーションを失ったという理由で脱退。この時すでに発表されていた2月2日にオタワで行われるカナダのGHOULUNATICSのフェアウェル・コンサートは残された5人で挑むこととなった。更にKALMAH (フィンランド) やCATAMENIA(フィンランド)のサポート・アクトも務めつつ新曲のレコーディングも進行させた。レコーディングされた楽曲はミニ・アルバム『ANOTHER ROUND』としてPRODISKから2008年秋~冬に発売されることとなった。このレコーディングは、まず2008年7月にキーボーディストのジョナサンがエンジニアを担当して、LLスタジオでドラム、ヴォーカルのレコーディグが行われた。そしてエミリー脱退後は5人編成で活動していたが、後に加入することになるギタリストのKim Gosselin(キム・ゴスリン)がエンジニアを担当してKGBスタジオでギターとベースがレコーディングされた。8月にはミックスをジョナサンとキムがLLスタジオで行い、同月ジョナサンによってマスタリングもされた。 また「THE SWORD」には、THE AGONISTのアリッサ・ホワイト・グルツがゲスト・ヴォーカルで参加。更にジャック・ジュニア・ジェリナによって「SCARLET TO SNOW」のオーケストラ・アレンジがされた。こうして完成したミニ・アルバム『ANOTHER ROUND』はカナダ国内ではFUSION 3/EMIが配給することも決まった。更に10月からは、11月8日に行われたTROIS-RIVIERES METAL FEST (ヘッドライナーはVOIVODで、CRYPTOPSYやKRISIUNも出演。)を最終公演とするカナダ・ツアーも行った。この時期に『…SO IT BEGINS』と『ANOTHER ROUND』の日本での発売がPRODISKとアートユニオン/STAY GOLDで話合われた。そして、2007年11月25日にミニ・アルバム『ANOTHER ROUND』は、カナダで発売され、日本でもアートユニオン/STAY GOLDから2009年春に、『…SO IT BEGINS』と『ANOTHER ROUND』を発売することとなった。ヨーロッパでのアルバム・リリースも進めていたPROFUGUS MORTISだったが、『ANOTHER ROUND』発売日から1日たった11月26日にバンド名をBLACKGUARD (ブラックガード) に変えることが発表された。これは、ヨーロッパでのレコード会社”NUCLEAR BLAST”が、「あらゆる法的措置を事前に避ける為」というのが大きな目的だった。PROFUGUS MORTISとはラテン語で”死の逃亡者”の意味だが、亡命者や難民の殺害といった意味にも捉えられるバンド名がネックになったという。この一件に関して、バンド側は非常に悩んだとのことだったが結果、バンド名変更という苦渋の決断を下した。PROFUGUS MORTISという慣れ親しんだバンド名としての活動は、EP 「ANOTHER ROUND」で終わったが、BLACKGUARDとしてのまた新しい時代がはじまる。「バンド名を変えることによって、新しい期待もある」そうメンバーは語った。


INNOCENT ROSIE

はスウェーデンの西海岸の町、ヨーテボリ(Goteborg *英語表記Gothenburg/ゴーテンブルグ)から南へ100kmほどの場所に位置するヴァールベリ(Varberg)でギタリストのスキッド・ラ・ルーソ(Skid La’ Russo)がドラマーのベン・バンクス(Ben Banks / 本名Benjamin Borang)に「一緒にバンドをやらないか?」と話を持ちかけたことによって2005年に結成された。二人は以前ヴァールベリからさらに南下したファルケンベリ(Falkenberg)という小さな町に住んでいてホーム・パーティーで子供のころに出会ってからの付き合いだという。KISS、ALICE COOPER、SKID ROWといったバンドに影響されたというスキッドとベンは自宅でジャム・セッションを繰り返すうちにアイディアが次々と湧き上がり、他のパートのメンバーを探すことになった。そしてベーシストに、デイヴ・パール(Dave Pearl / 本名Olof Oljelund)を、ヴォーカルにはバルセロナからヴァールベリに戻ってきたOscar Kaleva (オスカー・カレヴァ /通称“O’Shannahan”)を迎え入れてINNOCENT ROSIEは4人組ロック・バンドとして誕生した。O’Shannahan曰く、「お互いが近隣の町に住んでいたということもあり、互いに出会うべき運命にあったのかもしれない」とその時は感じたという。更に「それにメンバーそれぞれが、ロックだけではなく、いろいろなジャンルの音楽も聴いて親しんでいたから今のINNOCENT ROSIEのスタイルがあるのかもしれない」。とインタビューで語ってもいる。2006年になり地元でのライヴ活動を開始したINNOCENT ROSIEは5曲入りデモを制作した。このデモには、「Taste N’ Luck」 「Shakedown Rebel」 「Don’t Drag Me Down」 「Just Cry N’ Never」 「Downtown」の5曲が収録された。INNOCENT ROSIEが生み出す1つのジャンルに捉われないテンポの良いタイトでダイナミックなハード・ロックンロールに対しての人々の反応は、「ライヴの良さを感じさせる彼等の音楽を聴くとコンサート会場にいるわけでもないのに自然と体が動いてしまう。」「INNOCENT ROSIE自体がロックン・ロール・パーティだ。」等、口々に語ったほか、地元誌のレビューでもなかなかの評判だった。更に結成から日も浅かったうえ、スキッド自身も18歳という若さだったにも関わらず、U.K.でのツアーも2回行った。また2006年には、RECKLESS ABANDONで活動していたほかグラム・ロック・バンド、BELLADONNAでもプレイしていたジョーイ・メイヤーズ(Joey Myers / 本名 Joel Eliasson)がリズム・ギタリストで加入して5人組となった。このあともヨーロッパでのライヴ・ツアーを展開し、INNOCENTO ROSIE にはヘヴィ・ツアー・バンドとしてのイメージが加わりステージ・パフォーマンスも評判となった。彼等のライヴを目撃したファンやプレス関係者から「INNOCENT ROSIEの生み出す音楽とメロディは、いずれヨーロッパを席巻することになるだろう」と一同が口を揃えたように、高く評価された。またINNOCENT ROSIEの70’s~80’sのロックを感じさせるタフで華やかなスタイルはイギリスのCLASSIC ROCK誌でも取り上げられ評判となった。英国シェフィールドでのRED STAR REBELとの競演をはじめ、ノッティンガム、ロンドンでのライヴ、更にスキッドとベンの地元ファルケンベリではVAINS OF JENNA、HARDCORE SUPERSTAR等のオープニング・アクトを含むライヴと2007年のライヴ中心の活動を行っていたINNOCENT ROSIEだったが、スカンジナヴィアからの第2のバンドとして2007年7月28日のCRUEFESTへの出演も決まった。80’sにGuns n RosesやMotley Crueが演奏していたカリフォルニアの有名クラブ、Whiskey A Go GoでMOTLEY CRUEを冠にしたCRUEFESTのステージに立ったときは、ものすごく興奮したという。またCRUEFESTでのライヴを目撃したオーディエンスからも喝采をあびて更にファン層を拡大していった。そしてこの時期にスウェーデンのSWEDMETALとアルバム・リリースの契約もした。アメリカから戻ったINNOCENT ROSIEは、アルバム・デビューに向けての曲作りやデモの制作をライヴの傍ら行った。そして2008年6月にミュージック・ビデオ”Knock Me Out”を発表した。このビデオは、スウェーデンのMyspace – TVでこの時期に最もプレイされたビデオだったという。そして7月になると再びカリフォルニアを訪れて同月26日にWhiskey A Go Goで再びライヴを行った。ビデオが自国でのヒットし、ワールドワイドなライヴ活動を繰り広げるINNOCENT ROSIEは、8月からデビュー・アルバムのレコーディングを開始した。このアルバムのプロデュース&ミックスには、ARCH ENEMYの6thアルバム、『Dooms Day Machine』などでおなじみのRickardo Bengtssonを起用して行われた。しかし2008年秋にデビュー・アルバムの発売を待たずに結成メンバーの一人でリード・ギタリストのスキッド・ラ・ルーソが解雇されてしまうという事件が起きた。後任のリード・ギタリストには、いくつかのバンドでツアーを経験し、音楽プロデューサーとしても活動するDick Bortner (ディック・ボートナー /本名Dixxi Bortner)を迎えた。そしてINNOCENT ROSIEのデビュー・アルバム 『BAD HABIT ROMANCE』は2009年遂に発売されることとなった。また、アルバム・デビューに合わせて、ヴォーカルのO’ShannahanはOscar Kalva、 リズム・ギターのJoey MyersはJoel Eliasson、 ベースのDave PearlはOlof Oljelund、ドラムのBen BanksはBenjamin Borangというように、それまで使っていたステージでの名前を本名に戻すことにした。このアルバムは、日本ではアートユニオン/STAY GOLDから発売されることも決定した。アルバム発表後は、イタリアを皮切りにタフなコンサート・ツアーを行うとの事だ。


CRAZY LIXX

CRAZY LIXXは、BLINDEADというトラディッショナルなスタイルのヘヴィ・メタル・バンドで活動していたDanny Rexon、Vic Zino、Joey Cirera (現Joel Cirera) の3人を中心に2002年に結成された。Danny自身は、「もっとロック色を前面に押し出したスタイルの音楽をやりたい」とVicとJoeyに尋ねたのがきっかけとなってCRAZY LIXXの母体は出来上がった。このとき、Dannyはリズム・ギターを担当していた為、ヴォーカリストとベーシストを必要としていた。そこで、Vicの幼なじみであったMax Flamerをベーシストに迎え、4人で活動を行っていたが、ヴォーカリストが見つからなかった為、2003年にファースト・デモを制作する段階になってDannyが歌うことになった。このデモには、今や“CRAZY LIXX CLASSICS”とも言える 「Death Row」、「Love On The Run」、「Bad in a Good Way」の3曲が収録された。 そしてDannyのヴォーカリストとしての才能に、メンバー全員が満足したこともあって、Dannyはこの時からヴォーカリストとして活動することになった。その後リズム・ギタリストにKrizzy Field (現PRETTY WILD) を迎え5人組となり、地元マルメやストックホルムでライヴを行う様になった。 2004年になるとCRAZY LIXXは、ライヴ活動の合間にセカンド・デモ、『DO OR DIE』の制作を開始した。作業は長期間行われ、「Rock n’ Roller Coaster」、「Over You」、「Do Or Die」、「Daddy’s Little Girl」、「Love Is a Drug」、「Get On Your Knees」という全6曲が収録された。 しかし、5人による活動はそう長くは続かなかった。ある晩のギグが終わった後、アルコールの勢いも手伝ってMaxとKrizzyは喧嘩をしてしまった。その結果、CRAZY LIXXは、二人を解雇した。ベーシストが不在だったCRAZY LIXXだったが、2005年の夏の終わりに、Dannyと一緒にCRUCIBLEというバンドで活動していたことがある、Luke Rivano (現Lock Rivano)を迎え4人編成となった。活動を再開させたCRAZY LIXXは、2006年にローカル・ミュージック・コンペティションに出演し勝利を収めた。更に「No More Foolin’」という曲をレコーディングするが、この楽曲は現在も発表されていない。また同年の夏には、HARDCORE SUPERSTARのオープニグ。アクトを含む、数多くのライヴを行った。ライヴにあけくれた夏を過ごした彼等は、プロデューサーにDejan Milenkovitsを迎えたサード・デモのレコーディングを行うと時を同じくして、Dannyは自国のレーベル“SWEDMETAL RECORDS”にコンタクトを取った。そして、Dannyは、CRAZY LIXXがレコーディングした全ての楽曲を“SWEDMETAL RECORDS“に送った。更に元 GUNS ‘N ROSESのギタリスト、Gilby Clarkeのスウェーデン公演でのサポート・バンドとして演奏をするなど勢力的に活動を行った結果、“SWEDMETAL RECORDS”は、CRAZY LIXXと、デビュー・アルバムの契約を交わした。その後、未完成だったサード・デモを完成させた。そして「Heroes Are Forever」、「On Your Marks, Get Set, Rock!」の2曲を収録したデモは、2007年1月に“SWEDMETAL RECORDS“からシングルとして発売された。そして、CRAZY LIXXは、デビュー・アルバムの制作に向けて動きだし、遂にはストックホルムのポーラー・スタジオで、クリス・レーンリーをプロデューサーに迎えてデビュー・アルバムのレコーディングを行った。更に、この時期に英国で3日間のライヴを行ったほか、スウェーデン・ロック・フェスティヴァル2007への出演を含むミニ・ツアーも行った。レコーディング作業は約1ヵ月で終了~ミックス作業、マスタリング作業を無事に終えて、2007年11月に“SWEDMETAL RECORDS”からCRAZY LIXXのデビュー・アルバム、『LOUD MINORITY』は発売された。このアルバムは、発売から2週間経った時点で、スウェーデンのロック・チャートで第2位にランク・イン!(この時の第1位はNIGHTWISH) また、全ジャンルの総合チャートでも第58位にランク・インした。そして、2008年からスタートしたHARDCORE SUPERSTARとの英国ツアーに向け、2007年の最後もライヴを行った。2008年にスタートしたHARDCORE SUPERSTARとの英国ツアーだったが、最終日に、HARDCORE SUPERSTARのギタリスト、Silverがバンドからの脱退を発表~HARDCORE SUPERSTARは、残りのツアーを行うべく、CRAZY LIXXのギタリスト、Vicにオーファーを出し、数日後にVicはHARDCORE SUPERSTARとオーストラリアへ旅立った。そして、数週間後VicはHARDCORE SUPERSTAR,の成式なメンバーとして発表された。CRAZY LIXXは、HARDCORE SUPERSTARとのスウェーデンでのライヴが残っていたこともあり、Vicは、この時期に両バンドで演奏していたが、2008年4月26日のハルトスフレッドでのライヴを最後にVicは、CRAZY LIXXから正式に脱退した。 CRAZY LIXXは、ツアーを中止し、新しいギタリストを探すアナウンスを出した。そして、元SHARPのギタリスト、Andy DawsonをCRAZY LIXXのギタリストとして迎え、スイス公演を含むサマー・フェスティヴァル中心のライヴ活動を再開させた。また、2008年秋には、CRAZY LIXXは、フィジカル・シングル「Make Ends Meet」(b/w Want It-Radio Edit)を発表した。 2009年になるとCRAZY LIXXは、それまで所属していた“SWEDMETAL RECORDS”との契約はしない事を決めた。その後もCRAZY LIXXは、2009 REST IN SLEAZE FESTIVALを含む、イタリア、ドイツ、スイスでのライヴを行った。Dannyは、2009年の半分近くをソングライティングに費やし20曲分のデモ・レコーディングを行った。そして、CRAZY LIXXは2009年10月にクリス・レーンリーを再びプロデューサーに迎え、ストックホルムのポーラー・スタジオでセカンド・アルバムのレコーディングを行った。そして、CRAZY LIXXのセカンド・アルバム『NEW RELIGION』は、2010年に発売されることとなった。 日本では、ファースト・アルバム同様、ART UNION / STAY GOLDからボーナス・トラックを収録して発売されることになった。


AVATAR

AVATARの結成は、2001年の夏にドラマーの John AlfredssonとヴォーカリストのChristian Rimmiを中心に結成されたバンド、LOST SOULまで遡る。LOST SOULは、JohnとChristianの他、ギタリストのViktor Ekstrom とDaniel Johansson 、ベーシストのJohn Isacsson という5人で活動をしていた。LOST SOULは、リハーサル・ルームで練習を行っていたが、ギタリストのViktorがファンク・ミュージックをプレイしたいという考えだったことからこのライン・ナップでの活動は短命に終わった。また、Danielもバンドに対しての考えが乏しかった為、LOST SOULを解雇された。LOST SOULは、Danielの後任としてJohnの古くからのテニス仲間で、メタル・ヘッズもあったJonas Jarlsby を迎えが、Johnは、LOST SOULでの活動が上手くいかないのを察知してLOST SOULを計画的に解散への方向へと進めた。それと時を同じくしてJohn (Ds)とJonas(G)を中心にニュー・バンド、AVATARが誕生した。その後、暫くの間は、残されバンドのピースを埋めるべく、メンバーを探し続けた。その結果、ギタリストに、Kim Egerbo 、ベーシストに Niklas Green、ヴォーカルにJohannes Eckerstromを迎えることとなった。ヴォーカルのJohannesは、JohnとViktorが以前一緒にやっていたバンド、CLASSIC MOLLYでも歌っていたという。John Alfredsson (Ds)、Johannes Eckerstrom (Vo)、Jonas Jarlsby (G)、Kim Egerbo (G)、Niklas Green (B)というライン・ナップでAVATARは活動を開始~新しいリハーサル・ルームも見つけ、練習に明け暮れたが、Niklasには活気がなく怠けてばかりだった為、解雇した。後任には、音楽的才能も豊かだった Bjorn Risbergを迎え、数ヶ月間は一緒に練習をしたが、ヴォーカルのJohannesは、呼吸や会話などに支障が出た為、Johannesはバンドを離れてしまった。Johannes抜きでAVATARは、活動を続けようとしたが、何かと多忙だったベーシストのBjornが脱退してしまった。また、AVATARの創造する音楽を甘く見ていたKimにも辞めてもらったという。妨げになるものはあったものの、疑うことなくAVATARの活動を再開させたドラムスのJohnとギタリストのJonasは数週間かけて多くのプレイヤーを試したという。そんな中、治療中だったJohannesが、自らの声を取り戻し歌うことが可能になった為、JohannesはAVATARに復帰。Bjornが一時ギタリストとして加入したがAVATARに在籍する形ではなかった。その後、ギタリストのJonasがHenrik Sandellinという信頼のおけるベーシストを連れてきた。更に数週間後、AVATARは、セカンド・ギタリストにSimon Andersson を迎え入れ、AVATARにとって理想とする5人が揃った。 これを機会にソングライティングを開始、2003年12月に地元ヨーデポリのSTUDIO GAINでファースト・デモのレコーディングを行った。「Saviour」、「Soul Prison」、「War Song」、「The Meeting」という4曲が収録されたこのデモは、『PERSONAL OBSERVATIONS』と名付けられ評価を得る為メディアに送り、遂にはファースト・コンサートも行った。しかし、コンサートでプレイした楽曲の大半が、SLAYERとCANNIBAL CORPSEのカヴァーだったということもあって、大きな成功を収めるには程遠かったが、AVATARの生みだす情熱的でエネルギッシュな音楽に対しては好意的な意見ばかりだったという。メンバー間の信頼も高まりバンドとしても成長していったAVATARは、次のレコーディングの準備を進めていった。そして2004年10月~11月にSTUIDIO GAINでレコーディングを開始~Gus. Gも在籍していたことがあるギリシャのメロディック・デス・メタル・バンド、NIGHTRAGEのギタリスト、Marios Iliopoulos が、ギター・ソロで参加した「Apocalypse Showtime」を含む4曲入りEPを完成させた。「Tied, Torn and Twisted」、「My Shining Star」、「Apocalypse Showtime」、「Stranger」という4曲を収録したこのEP、『4 REASONS TO DIE』は、同年11月に発表されバンドの予想を遥かに上回る反応を得た上、ライヴ演奏においても今まで以上に強力になったAVATARというバンドが、更にクローズアップされるきっかけにもなった。更に2005年には、「My Shining Star」、「Break (LIVE)」、「My Shining Star (LIVE)」、「War Song (LIVE)」、「My Shining Star (VIDEO)」を収録したEP、『MY SHINING STAR』を300枚制作~コンサート会場で配布したほか、コペンハーゲンでAVATARにとって初の海外ライヴも行った。 バンド内では次もEP制作という案が出たものの、AVATARには十分な量の楽曲があったこともあり、Johnのドラム・キットをSTUDIO GAINに持ち込み自費でアルバムの制作に向けて動きだした。そして、スタジオのオーナーでもあり、レコード会社も運営している“GAIN MUSIC ENTERTAINMENT”のMarkus Tagarisが、レコーディング中の楽曲を聴き、契約書とペンを持ってAVATARのもとに走ったという。その結果、AVATARは“GAIN MUSIC ENTERTAINMENT”と契約。 この間、AVATARは2曲入りEP、『AND I BID YOU FAREWELL』(「And I Bid You Farewell」と「Warsong」を収録) を発表。 更にAVATARは、アンダーグランドなゾンビー映画にも出演したほか、「My Shining Star」のビデオも制作された。そして、「War Song」、「My Shining Star」、「Stranger」の3曲の再レコーディングを含むファースト・アルバム、『THOUGHTS OF NO TOMORROW』は2006年1月に“GAIN MUSIC ENTERTAINMENT”から発売された。 アルバム発表後、AVATARは、IMPALED NAZARENE (2006年5月)、EVERGREY (2006年10月~11月)と2度のヨーロッパ・ツアーを行ったほか、年末には、HARDCORE SUPERSTARやEVERGREYともライヴを行った。2007年になるとIN FLAMES と共に3度目のヨーロッパ・ツアーを敢行。更にSTONE SOURのスウェーデン公演のサポートやサマー・フェスティヴァルにも出演した。その後は、再びスタジオに戻り、セカンド・アルバムの制作を開始。 このアルバムには、IN FLAMESのBjörn Gelotteが1曲ギター・ソロで参加した。そしてAVATARのセカンド・アルバム、『SCHLACHT』は2007年10月に“GAIN MUSIC ENTERTAINMENT”から発表され、スウェーデン・チャートで27位にランク・インした。また、アルバム、『SCHLACHT』のプロモーションも兼ねて、SOILWORKやDEATHBREATH等と、スウェーデン・ツアーも行った。2008年になると、OBITUARY、HOLY MOSESと全28公演という4度目のヨーロッパ・ツアーを行ったほか、MEGADETHのストックホルム公演でのサポート・バンドとしてステージにも立った。自国の“CLOSE-UP MAGAZINE”にも大きく取り上げられ、SOILWORK、BACKYARD BABIES、DANKO JONES、MUNICIPAL WASTE等ともライブ・イベントに出演。3月には、“SOUTH BY SOUTHWEST (SXSW)”出演ため、テキサスへと飛び、ENSLAVEDやSABATON等ともギグを行い、アメリカ国内にもAVATARファンを増殖させることに成功した。スウェーデンに帰国したAVATARは、SWEDEN ROCK FESTIVALを筆頭に多くのサマー・フェスティヴァルに出演。サード・アルバムのプリプロダクションを行う中、スイスでもライヴを敢行。その後、スタジオに戻り、サード・アルバムのレコーディングを開始、10月には先行シングル『THE GREAT PRETENDER』を発表。そして、HARDCORE SUPERSTARと5度目のヨーロッパ・ツアーに旅立った。ツアーは2009年10月~11月にかけて行われ、この間にAVATARのサード・アルバム、『AVATAR』は発表されスウェーデン・チャートで36位にランク・イン!AVATARのサード・アルバム、『AVATAR』はART UNIOON / /STAYGOLDからボーナス・トラックを収録して発売されることになった。


EXCALION

2000年12月にフィンランドのコンネヴェシでキーボーディストのJarmo “Jappe” MyllyvirtaによってEXCALIONの歴史は.はじまった。Jarmoは、ドラマーにHenri Pirkkalainen、ベーシストにTimo Sahlberg、ギタリストに Tero Vaajaを迎え、小さなリハーサル・ルームで演奏力のアップや楽曲創りを開始した。このとき既にバンド目指すサウンドは同郷のヒーロー、STRATIVARIUSが生み出す様なメロディック・パワー・メタルに、キーボードによるシンフォニック・サウンドをミックスしたスタイルと決まっていた。結成から約一ヶ月が経った2001年1月にギタリストのTeroが、兵役の為バンドを離れてしまった為4人でのリハーサルが出来なくなってしまったが、バンドはこの期間を利用してヴォーカリスト探しを行った。そしてSLAVES OF WISDOMのJarmo Paakkonenを迎えることをきめた。 この年の5月に、バンドは地元のTyovaentaloでファースト・ギグを行う。演奏は素晴らしくその場に居合わせたオーディエンスから喝采を浴びたものの、メンバーはもっと個性的でヴァラエテーな曲が欲しいと思い、セカンド・ギタリストの必要性をバンド内で確認しあう。セカンド・ギタリストの座にはヴォーカリストのヤルモが在籍していたSLAVES OF WISDOMのメンバーだった キンモ・ハンニネンを迎えることに決めた。キンモは、それまで自分が養ってきた経験をもとに、EXCALIONの楽曲の向上や演奏技術の向上といった部分で貢献をした。7月になると、半年間の兵役義務を終えたTeroがバンドに戻ってきたが、その数日後に今度はキーボーディストのJarmoが、兵役の為フィンランド中部の森林周辺で地雷運搬作業をすることになってしまった。しかしJarmoのスケジュールにあわせてバンドにとってファースト・デモとなる“Forlorn”の制作を9月からKaktus Studio で開始した。EXCALIONは、2日間で3曲をレコーディングし、ミックスまで完了させた。この作業は、バンドにとって素晴らしい経験となったのと同時に、友達の意見や自国のプレスからの反応を聞くことに役立った。2002年1月になると、兵役を終えたJarmoがバンドに戻り、バンドは多くのオリジナル曲を作り、地元を中心にたくさんのライヴを敢行し、更なる進歩を遂げた。この頃のライヴ・セットにはDIOのRainbow In The Dark、BON JOVIのYou Give Love A Bad Name、STRATOVARIUSのNo Turning BackやDistant Skiesといったカヴァー曲も含まれていたという。2003年5月になるとバンドはセカンド・デモ、”Obsession To Prosper“を完成させた。このニュー・マテリアルに関する反応は、彼等自身も驚くほどに素晴らしく、各方面から“フィンランドのグレイト・ニュー・バンド“として紹介された。このデモをきっかけに、バンドは一気に世界中のメロディック・メタル・マニアに知られることとなった。 11月になると、フィンランドのGHOST MACHINERY、ノルウェーのGAIA EPICUSといったバンドが在籍するほか、フィンランドのREQUIEMが在籍していたことで知られるポルトガルの SOUND RIOT RECORDSからバンドへオファーがあり契約することになった。2004年中頃にバンドはプロモーション用に数曲レコーディングをした。このプロモCDには3曲収録をして、プレス、ファンジン、ウェブジンをはじめ、マニアの反応を得るために一部のヘヴィ・メタルのCD専門店などに置かれた。このプロモCDの反応もまた素晴らしかったのと同時に各方面から多くを意見を得るきっかけとなった。これはデビュー・アルバムのレコーディング準備をしていたEXCALIONにとってバンドのレべルさらに高めるための強力なカンフル剤となった。(特に一般リスナーからの反応は参考になったという。) EXCALIONは、ファンからの意見に耳を傾け、楽曲のアレンジのやり直しなどを理由にデビュー・アルバムのレコーディング開始を予定よりずらして、秋からスタートさせることに決めた。2004年に作られた新曲を含む10曲をもって、フィンランドのウォーターキャッスル・スタジオ (過去にRequiemが、アルバムThe Arrivalで使用) でEXCALIONは、デビュー・アルバムのレコーディングを開始した。 本作は、Royal Hunt 、Ring Of Fire、Last Tribeといったバンドが使用した英国のデジタル・オーディオで2005年2月にマスタリングを完了。さらに3月になるとより完成度の高い作品に仕上げるため、名門 FINNVOXXスタジオでリマスター作業を行い、EXCALIONのデビュー・アルバム、”Primal Exhale”は、アートユニオンの STAY GOLDレーベルからボーナス・トラック、”Lady Moon”を収録して2005年6月に日本先行で発売された。 だが、デビュー・アルバムの発表を前にEXCALIONというバンドの成長に大きくかかわってきたギタリストのキンモが脱退をしてしまう。キンモ自らが、求めはじめた音楽がEXCALIONのものとは違うということが脱退の動機だった。キンモの脱退発表後も後任が決まるまではEXCALIONの活動を手伝うとのことだったがEXCALIONは3月後半に、ニュー・ギタリストにVesa Nupponenの加入を発表した。また4月にはベーシストのTimoも脱退をするが、脱退後も裏方として力を貸すという形で今後もEXCALIONにかかわっていくと約束をした。EXCALIONは、ベーシストを新たに探すことなく、それまでギタリストだったTeroがベーシストにスイッチすることとなり、5人編成として活動を続けることを決めた。2005年、秋になるとヨーロッパでもデビュー・アルバム、”PRIMAL EXHALE”はリリースされ、自国フィンランドをはじめオランダや、ヘヴィ・メタル大国ドイツでも「SUTORATOVARIUS+NIGHTWISHタイプ」として注目された。それからの約1年は、自国を拠点にライヴ活動たり新曲の制作作業を続けた。EXCALIONは、2006年5月3日に、完成した楽曲を持って、ファースト・アルバムと同じウォーターキャッスル・スタジオでセカンド・アルバムのレコーディングを開始し、ミックスまでの作業を約一ヶ月で完了させた。 そして6月にはセカンド・アルバムに収録されるヘヴィ・バラッド、”Losing Time”のプロモーション・ビデオの撮影が行われた。 6月下旬になると前作同様、英国のデジタル・オーディオ・スタジオでマスタリング作業が行われ、アルバム・タイトルも”Waterline”に決まり9月にはアートユニオンのSTAY GOLDレーベルから発売されることが決まっていたが、EXCALIONが契約していたSOUND RIOTが経営難となり~ヨーロッパでの発売が遅れることになったが、ドイツのLimb Music Productsからセカンド・アルバム”Waterline”は、発売されることとなった。”Waterline”の日本での発売はファースト・アルバム同様アートユニオン/STAY GOLDから2007年2月発売された。ファースト・アルバムと比べてキーボード・サウンドを控えめにし、情感豊かな強力なJarmoのヴォーカルとギター・サウンドを強調したWaterlinesは、クオリティの高いメロディック・パワー・メタルということもあって、ファースト・アルバムの2倍の売り上げを日本で記録した。Waterline発売後EXCALIONは、Wingman、Losing TimeのPVを制作したほか新曲の制作、ライヴ活動なども行ったほかヨーロッパでのレーベルを探しも行った。そして再びLimb Music Productsと契約~2009年の8月~10月にかけてサード・アルバムの制作をWATER CASTLEで行った。このアルバムはHIGH TIMEとタイトルされ、2010年にヨーロッパで発売、日本での発売は、ファースト・アルバム、セカンド・アルバムと同様、アートユニオン/STAY GOLDからボーナス・トラック2曲を収録して発売されることとなった。


BRUCE KULICK

本名Bruce Howard Kulick (ブルース・ハワード・キューリック)は、1953年12月12日にニューヨークで生まれた。最初のレコーディングは、Mike Katz (Ba / Singer / Song-writer)とGuy Bois (Ds)と結成したCreamとYesを融合させた様なスタイルのパワー・トリオ・バンド、KKBで1974年9月にニューヨークのSudden Rush Recording Studio でレコーディングしたという。しかしKKBでの活動は長く続かず3人は別々の道へ進んだという。(この時のセッションは2006年にキューリックがガレージ・セールでTEAC製のリール・プレイヤーを35ドルで購入しCD化して、2008年に1000枚限定でキューリックのオフィシャル・ホーム・ページで発売された。) その後、アダルト・フィルム・スター兼シンガー、Andrea Trueや1974年のヒット曲「Rock You Baby」で有名なアメリカのR&B/ディスコ・ソウル・シンガー、George Mccrea とのツアーにメンバーとして参加した。また、1977年~1978年にかけてはMEAT LOAFのBat Out of Hellツアーにも参加した。その後短期間ロングアイランドのロック・バンド、Good Ratsで演奏し、1979年から1980年にかけてはMichael Boltonがヴォーカルだったハード・ロック・バンド、Blackjackで2枚のアルバムを制作した。キューリックの名前が世界中を駆け巡ったのは Mark St. Johnの後任としてもモンスター・ロック・バンド、KISSに加入した1984年の暮れだった。そして1985年にKISSが発表した13thアルバム、『Asylum』を皮切りに『Asylum』(’87)、『Hot in the Shade』(’89)、『Revenge』(’92)、『Carnival of Souls: The Final Sessions』(’97)と1984年から1996年まで12年間5枚のアルバムでギタリストとして活動したが、その後、KISSがAce Frehleyを加えたオリジナル・ラインナップに戻った為、バンドを離れるが、KISSの18thのアルバム『Psycho Circus』(’98)にも現KISSのギタリストTommy Thayer (ex-Black ‘n Blue)等と参加した。KISSを離脱したキューリックは、John Korabi(ex-Scream / ex-Motley Crue)等とUNIONを結成しライヴ盤を含む3枚のアルバムを発表した。またEric Singer (ex-KISS / ex-Badlands他)のバンドESPにJohn Corabiと参加したほか、 2001年からはアメリカン・ロックの代名詞ともいえるGrand Funk Railroadのメンバーとしても活動している。また、この時期にはキューリックにとって初のソロ・アルバム、『Audio Dog』(’01)も発表した。2003年には自身2枚目のソロ・アルバム『Transformer』を発表。その後は、ESPや最結成UNIONで活動し、2006年にはon Paul Stanleyが 2006年に発表したセカンド・ソロ・アルバム 『 Live To Win』でベースを弾いたほか、フィンランドのLordiの2006年アルバム『The Arockalypse』のIt Snows In Hellでリード・ギターを演奏した。またスウェーデンのKiss Army代表でもあるLion’s ShareからKISS EXPO in Stokholmに招待されたの期にLion’s Shareのアルバム『Emotional Coma』に収録されている「The Edge of the Razor」でギター・ソロを弾くなどアメリカ以外での活動も開始した。(最近ではTobias SammetのプロジェクトAVANTASIAにも参加)そして2003年の『Transformer』以来、キューリックにとって3枚目のソロ・アルバム、「BK3」を2010年に発表した。このアルバムにはGene Simmons、Nick Simmonsの親子の他、Tobias Sammet、Eric Singer、Steve Lukather、更にMy Sharonaでお馴染みのThe Knackのヴォーカリスト、Doug Fieger (2010年2月14日、57歳の若さで他界)といったゲストが参加している。ブルース・キューリックのサード・ソロ・アルバム『BK3』は日本ではアートユニオンから発売されることになった。


MANTICOLA

Manticoraは、1992年から1995年に3本のデモをリリースしたFEAR ITSELFというローカル・バンドで活動をしていたLars F. Larsen (vocal/guitar)、Kristian Larsen (Guitar)、Madz Volf (drums)の3人によって1996年4月に結成された。3人が、バンドの核を作った後、Rene “Neo”Nielsenを迎え,、彼等はMANTICOREと名乗り活動を開始した。MANTICOREとは、「3列の歯を持つ人間の顔にライオンの身体、背にはコウモリの羽、尾はサソリ」という伝説の人面獣である。バンドのラインナップが決まり、彼らは直ちに自費ミニ・アルバム「DEAD END SOLUTION」のレコーディングを開始した。このミニ・アルバムは、1997年にリリースされ、歌、演奏共に若さや荒っぽさが目立ち、サウンドもチープであったにも関らず、MANTICOREのトレードマークともいえる爆発するサビ・メロを導入したパワー&スラッシュ・メタルは、欧州、南米などのコアなヘヴィ・メタル・ファンを中心に話題となり日本でもヘヴィ・メタル系CDを扱う専門店で売られ話題となった。しかし、MANTICOREというバンド名の使用権を持つバンドの存在が発覚しミニ・アルバムをリリースした後、彼等はバンド名をMANTICORAへ変更することになった。1998年になるとMANTICORAは、Lars F Larsenがヴォーカルに専念する為、セカンド・ギタリストにFlemming Schultzを迎えたほか、サウンドに幅を持たせる為にキーボーディストにJeppe “Paven”Egを迎えた。その後、ギリシャのレコード・レーベル、 BLACK LOTUSとアルバム・リリースの契約を交わし、1999年6月にデビュー・フル・アルバム「ROOTS OF ETERNITY」を発表したが、BLACK LOTUS側からは思っていたようなプロモーションが得られず、BLACK LOTUSから離れ、新たなレーベルを探しはじめた。2000年になるとMANTICORAは、イタリアのSCARLET RECORDSと契約を交わし、2001年4月にセカンド・フル・アルバム、「DARKNESS WITH TALES TO TELL」を発表した。しかしミニ・アルバムのレコーディングの頃からMANTICORAに関ってきたベーシストのReneが家族問題の為バンドから離れてしまった。Reneの後任に選ばれたのは、WUTHERING HEIGHTSのKasper Gramだった。ベーシストの交代劇と時を同じくしてセカンド・ギタリストであったFlemmingも脱退してしまったが、後任のギタリストには、アイアン・メイデンのカヴァー・バンド、MOONCHILDで活動をしていたMartin Arendalを迎えた。KasperとMartinの演奏は、MANTICORAに新たなエナジーを注ぎこむと同時に、バンド全体を活性化させることにもなった。ニュー・メンバーを迎えたMANTICORAは、2002年10月に、初のコンセプト・アルバム、「HYPERION」を発表した。「HYPERION」は、それまでのMANTICORAに比べ、バンドのオリジナリティと凄さを十分に発揮できた作品として高く評価された。2003年になると3月から開始されたPLATITUDEとFADING STARLIGHTとのヨーロッパ・ツアーを前にキーボーディストのJeppeが学業に専念するとの理由でMANTICORAから脱退をしてしまうが、Jeppeは2002年よりMANTICORAでの活動以外にも、同郷のメロディック・デス・メタル・バンド、URKRAFTでも活動をしていたという。Jeppeの脱退を受けいれたMANTICORAは、友人であったMartin Jorgensenをツアー・メンバーに加え、予定されていたヨーロッパ・ツアーを行い、8月にはコペンハーゲンで行われたBALLERUP FESTIVALへの出演も果した。この頃には次のアルバムの準備が出来てはいたものの、「HYPERION」のスケールが大き過ぎた為、次作は決まったコンセプトを持たないヘヴィ・メタル・アルバムにしようと決めていた為、キーボーディストをさがさずことなく制作が進められていた。 ところが、楽曲を煮詰めていくうちに無数のアイディアが各メンバーから湧き出てきた結果「自分達で物語を作りコンセプト・アルバムにしよう」ということだった。そして歌詞と楽曲を練り上げていった彼等は、キーボーディストを探しはじめFinn ZierlerがMANTICORAを全面的にバックアップしてくれることになった。Finnは、2001年にMASTERPLANのJorn Landeをヴォーカルに迎えてアルバム、「THE DEVIL’S HALL OF FAME」を発表したBEYOND TWILIGHT (ex-TWILIGHT)のキーボーディストだ。しかし、レコーディング開始という時になって、ギタリストのMartinが音楽性の相違という理由から脱退をしてしまうが、正式メンバーではないものの、MANTICORAのサポートはしていくとの理由でレコーディングには参加した。そして、「自己耽溺」「像悪」「裏切り」「攻撃性」「嫉妬」「尊大」「無知」「冷淡」という人間の大罪を8つのチャプターに分けて表現をしたアルバム、「8 DEADLY SINS」は、2004年9月にドイツのMASSACRE RECORDSからリリースされた。2005年になると、MANTOCORAは、ANGRAやEDENBRIDGEと共にヨーロッパ・ツアーを行ったほか、9月にはアトランタで開催されたPROG POWER FESTIVALでMANTICORAにとって初のアメリカでのライヴを行った。このときのラインナップは、メンバーの4人に、セッション・ギタリストのStefan Johanssonとスウェーデン人キーボーディスト、Andreas Lindhalを加えた6人だったという。アメリカでのライヴを終えたMANTICORAは、次作のアルバムのアイディアを考えはじめ、出た結論が「19世紀にニューイングランドを旅するサーカス団に起こった恐怖の物語」を2部構成のコンセプト・アルバムで発表するという壮大なものだった。当初2枚組との情報も噂されたが、最終的には、パート1、パート2に分けて2枚別々にリリースすることになった。ストーリーを作るにあたっては、ニューイングランドの旧都、プロビデンスに1990年に生まれた20世紀最大の怪奇小説家とされる、H.P. LOVECRAFT によるクトゥルー神話という神話大系にヒントを得たという。ストーリーは、「1896年、ニューイングランドを旅するサーカスの管理人としての職を得て自身の仕事に非常に満足をしていた一人の男が、彼の友人にあてた“彼のサーカスでの経験/体験”について綴った手紙を書くことから始まるが、周囲の人々はこの友人が何処の誰かは知らない」といった話からはじまる。このストーリーは、2005年の夏~秋の時点では完全なものではなかったが、それ以前からMANTICORAによって練られていたものだという。「ルーマニアから移住してきたジプシーによって所有されているこの巨大なサーカスで、人々が姿を消すなどいろいろな出来事で彼等は分別を失い、男の手紙は、より一層暗くなり怯える」といったストーリー・アルバムは、『THE BLACK CIRCUS part 1 ~ LETTERS』と名付けられ、前作同様Tommy Hansenと共にJAIL HOUSE STUDIOで2006年4月から約一ヶ月間行われた。当初は、ツアー・サポート・メンバーだったStefanを正式メンバーに迎える予定だったが、制作の過程で彼がMANTICORAに合わないとの理由で2006年1月末に、前メンバーだったMartinにリード・ギターのレコーディングを依頼し、そのままMartinがMANTICORAに復帰した。日本ではアートユニオンのSTAY GOLDからボーナス・トラックを収録して2006年8月に世界に先駆けて発売された。10月になると、MANTICORAは早くもパート・2のギター・トラックのレコーディングを開始した。このアルバムにはゲストとして、”INVOCATOR,” や”ANUBIS GATE”で活動するJacob Hansen(Vocals)、”LOCH VOSTOK”, “WUTHERING HFIGHTS”で活動するTeddy Moller (Growls)、”BEYOND TWILIGHT”で活動する Finn Zierler (Key)、元”PLATUTUDE”~”WUTHERING HEIGHTS”のAndreas Lindahl (Key)が参加している。ルーマニアから移住してきたジプシーによって所有されているサーカスに訪れた観衆が入場(Entrance)し、最初に行われたマジシャンのショウに圧倒される。しかし、これは本格的なショウ (Beauty Will Fade)へ向けての序章に過ぎなかった。メインのショウ(Beauty Will Fade)がはじまる。そのころジプシーはサーカスの周辺や内部で、盗みや殺しを行なっていた(Gypsies Dance.2)。ジプシーが所有している狼も観衆の中に解き放たれる(Haita Di Lupi : これはルーマニア語で、英語ではWolfpackの意味)。その後「EVIL FORCES ~凶悪な魔の軍隊」がやってきて生き残った観衆から彼等の魂を奪いはじめる。「凶悪な魔の軍隊」はHP LOVECRAFTにインスパイアされた怪物(Soulreaper)で、怪物はジプシーと協定を結ぶ。協定の内容は、ジプシーは人々からものを盗み、怪物は人々の魂を奪うというものだった。残るすべてのものも奪おうとする(All that Remains)ジプシーと怪物。 主人公(サーカスの管理人)はこのような死や破滅の目撃することになる。そして、遂にジプシーは怪物”Soulreaper”の使用人となってしまう。主人公自身は、「これは事実なのか?自身がおかしいのか?」といったことがわからなくなってしまう。実際これは本物の”狂気”なのかもしれない(Of Madness In Its Purity)。主人公の手紙の送り先はアルバムのリスナーであるのか、他の誰かかもしれない。こうLars F Larsenは答えた。スラッシュ・メタルにも似た溢れんばかりのヘヴィなアグレッションと勇壮かつ壮大なメロディック・パワー・メタルの凄みを融合させたデンマーク産パワー・メタルの雄、“MANTICORA”が創り上げた2部構成の物語の第二章、『THE BLACK CIRCUS Part.2-Disclosure』は2007年5月、ボーナス・トラックを収録してアートユニオンのSTAY GOLDレーベルから世界に先駆けて発表された。その後、Jon Oliva’s PAINとのライヴに先駆けて欧米でライヴを敢行、Jon Oliva’s PAINとのライヴも成功させ2009年にはCircle II Circleと16カ国で21回ショウを行った。2010年なるとJAIL HOUSE STUDIOで7枚目のフル・アルバムの制作を進めた。このアルバムはシンプルに「SAFE」と名付けられた。そして、MNTICORAの武器の一つでもあるダーク&ヘヴィなパートを強調しながらもメロディックなサビ・メロや力強いクワイアも従来通り取り入れたMANTICORAならではの、テクニカルなハイ・オクタン・パワー・スラッシュ・メタル・アルバムとなった!このアルバムは、2010年9月にボーナス・トラックを収録してアートユニオン / STAY GOLDから世界に先駆けて発売されることとなった!


RICK SPRINGFIELD

Rick Springfield : ミュージシャンとしてのメジャー・キャリアは1965年にアデレードで結成されたZOOT(ズート)というバンドに1969年にRoger Hicks(ロジャー・ヒックス)の後任ギタリストとして加入したことに始まる。ZOOTは、結成から暫くの間は、TOPブリティッシュ・ポップ・ソングなどをカヴァーするバンドに過ぎなかったが、スプリングフィールドが加入した1969年を境によりハードなサウンドになったという。ZOOTは、Columbiaから『Just Zoot』(’69)、『Zoot Out』(’71)と2枚のアルバムを発表したほか、1968年から1971年までに8枚のEP / 45sを残し1971年に解散をした。1972年、22歳になったRick Springfieldは、カリフォルニア・ハリウッドへ移る。ソロ・デビュー曲は「Speak To The Sky」メジャー・ヒットとなりビルボード誌で14位にランクインした。続いてソロ・デビュー・アルバム『Beginnings』もTop40入りしたが、Capitol Recordsがレコードの購入者に対しお金を払っていたという云わばチャート上位を狙う為の裏工作が噂となってラジオ局はリック・スプリングフィールドの曲をオンエアすることをボイコットした。その為、スプリングフィールドは1973年にColumbiaと新たに契約をしたが、ヒットには恵まれなかった。その後1973年から1975年までABC-TVで土曜朝に放送された漫画シリーズ『Mission Magic!』に出演して各エピソードのオリジナル曲を書いていたという。1976年にはシングル「Take a Hand」で久しぶりにTOP40 POPヒットとなった。その後は、RCAと契約してアルバム『Working Class Dog』(’81)を発表[Sammy HagarがI've Done Everything for Youという曲で参加]、そしてシングル曲「Jessie’s Girl」が全米No.1ヒット・シングルとなり1982年度グラミー賞の最優秀男性ロックボーカル賞を受賞した。そして1982年に、3曲のTOP40シングルを生んだアルバム『Success Hasn’t Spoiled Me Yet』を、1983年には全米TOP10ヒッツ「Affair of the Heart」を収録したアルバム『Livin in Oz』と立て続けにプラチナム・アルバムを発表した。また1984年にはアルバム『Hard to Hold』(同名の映画サウンド・トラック)も発表~「Love Somebody」がTOP5入りするヒットとなりMTVでも頻繁にPVがオンエアされた。1985年になるとTOP30シングル「State of the Heart」を収録したアルバム『Tao』を発表。1988年にアルバム『Rock of Life』を発表した。’92~’94にかけては Tim Pierce、Bob Marletteとスプリングフィールドにとって初のプロジェクト、SAHARA SNOWで活動をした。SAHARA SNOWのアルバム『SAHARA SNOW』は1997年にリミックスした8曲と、スプリングフィールドのソロ作品用の新曲を4曲収録した12曲入りアルバムとしてドイツのMTM Musicから発売された。1998年になると約10年振りにソロ・アルバム『Karma』を発表するが、全米TOP200入りするに留まった。2004年になると新レーベル「Gomer Records」からアルバム『Shock/Denial/Anger/Acceptance』を発表、2005年には自身初のカヴァー・アルバム『The Day After Yesterday』を発表したほか、12年振りの日本公演も行った。2007年にはクリスマス・アルバム『Christmas With You』を発表した。そしてDavid Lee RothやJoe Satrianiとの活動で有名なMatt Bissonette(B)をソングライティングのパートナーに迎えGeorge Bernhardt(G)、Derek Hilland (Key)、Rodger Carter (Ds)と通算14枚目のアルバム『Venus In Overdrive』を制作して2008年にNewDoor Recordsから発表~このアルバムは順調にセールスを伸ばし、全米チャートで28位まで上り詰めた。


STRANGEWAYS

カントリー・シンガーソングライター、Hank Williams、LED ZEPPELIN、PRINCEと多種多様のアーティスト/音楽に影響されたギタリストでソングライターのIan James. Stewartを中心とするはCHINA WHITEというバンドを母体にスコットランド最大の都市グラスゴーにて結成された。バンドは、Kevin Elson (EUROPE, JOURNEY, Mr. BIG他) をプロデューサーに迎えてスイスのPowerplay Studioでファースト・アルバム『STRANGEWAYS』のレコーディングを行い1986年にBonaire / Aristaから発表した。この時のラインナップは、Ian James. Stewart (g)、David Stewart (b)、Jim Drummond (ds)、Tony Liddell (vo)、Alan Thomas(key)という5人だった。N.W.O.B.H.M.の波が去り北米からの生きの良いバンドが日々デビューする中、英国でもSHYやFM、RIO、TOBRUK、そしてTRESPASSのSutcliffe兄弟を中心とするBLUE BLOODといったKey入りのハード・ポップ / メロディック・ロック・バンドが台頭してきた時期ということもあって、アメリカナイズされたSTRANGEWAYSのファースト・アルバムは、英国プレスから高く評価された。しかし、ファースト・アルバムがレコード・ショップでヒットする頃、プロデューサーのKevin Elsonの薦めもあってヴォーカルが、Tony LiddellからKANSASの9thアルバム『DRASTIC MEASURES』(’83)やVAN ZANTの1985年アルバム『VAN ZANT』、Michael Boltonのアルバム『EVERYBODY’S CRAZY』などに参加していたアメリカ人ヴォーカリストTerry Brockに交代した。そしてEUROPEやBryan Adamsのサポートで欧州をツアーした後、1986年11月~12月にファースト・アルバム同様、スイスのPowerplay Studioで、プロデューサーにJohn Punter (JAPAN、SLADE、NAZARETH、ROXY MUSIC 他) を迎えてセカンド・アルバム『NATIVE SONS』のレコーディングを行った。Ian James. Stewart (g)、David Stewart (b)、Jim Drummond (ds)、Terry Brock (vo)という4人でレコーディングしたセカンド・アルバムも英国プレスの間では好評で、とりわけKERRANG!誌では「最も美しく、パーフェクトでグレイトなAORアルバム」と非常に高く評価されたもののセールスは予想以下だったという。しかし、映画『Zärtliche Chaoten II 』に『NATIVE SONS』収録の「Only A Fool」が取り上げられるなどドイツでは安定した人気があったという。そして映画『Zärtliche Chaoten II 』のサウンド・トラック盤は1988年にARIOLAから発売された。サード・アルバムのレコーディングを進める中、バンド内では、「次のアルバムは、よりメンバー各々の個性を強調しながらもJOURNEYの様な整合感を伴ったバンド・サウンドを極めた作品にしよう」と決められた。そして三度スイスのPowerplay Studioでサード・アルバムのレコーディングを行った。このアルバムは、バンド・リーダーのIan James StewartとJohn Leeによってプロデュースされ『WALK IN THE FIRE』と名付けられて1989年に発表された。サード・アルバム『WALK IN THE FIRE』は、全編ヒット・チャートを狙えるかの様な優れたメロディを擁した楽曲で覆い尽くされていた上、ウェット感に富んだブリティッシュ・AORの一つのスタイルを決定づけた作品として現在でもメロディック・ロック・ファンの間で人気が高いアルバムとなっている。その後STRANGEWAYSはツアーを行い、ドイツでは安定した人気を誇ったという。しかし、ヴォーカルのTerry Brockが、Ian Gillanの後任としてDEEP PURPLEのオーディションを受ける為にアメリカに渡ってしまった。そして大西洋を隔てた英国で待つSTRANGEWAYSの元へその後戻ることはなかったという。残されたメンバーはIan James Stewartがヴォーカルも兼任する形で、『AND THE HORSE』(’94)、『ANY DAY NOW』(’98)、『GRAVITATIONAL PULL』(’00)と3枚のアルバムを発表するが、どの作品も『NATIVE SONS』や『WALK IN THE FIRE』の様な極上のブリティッシュ・AOR / ユーロ・メロディック・ロックとはかけ離れたスローテンポで英国の空を思い出させる輝きの失せた様なの楽曲中心だったことから『NATIVE SONS』や『WALK IN THE FIRE』がお気に入りのファンは次第に離れていってしまった。STRANGEWAYSを脱退してアメリカに戻ったTerry Brockは、DEEP PURPLEへ加入することはなかったが、HEAVENS EDGEやVALENTINE、Michael Boltonの作品に参加した。そして2000年にはMark Mangold やBilly Greer 、Randy Jackson 等と結成したTHE SIGNのアルバム『SIGNS OF LIFE』をイタリアのFRONTIERS RECORDSから発表した。また2001年にはソロ・アルバム『BACK TO EDEN』をリリースしたほか2003年にはESCAPE MUSICから発売されたPHANTOM’S OPERAのアルバム『ACT V』で歌うなどその声量豊かでエモーショナルな歌声はAORを基調にしたメロディック・ロック・シーンで絶大な支持を得ていた。また、Mike Slammer (ex-CITY BOYS、STEELHOUSE LANE他)とも活動、最近でもDANN HUFFの後任としてGIANTの9年振りとなるアルバム、『PROMISED LAND』にも参加したほか、自身のソロ・アルバム『DIAMOND BLUE』を発表をするなど、近年はメロディック・ロック・シーンには欠かせない存在とまで言われる様にまでなった。そして今年、英国のメロディック・ロックの祭典 FIREFEST 2010で、STRANGEWAYSがTerry Brockをヴォーカルに迎えてリユニオンするというニュースが発信され往年のファンは期待に胸を膨らませた。更にSTRANGEWAYSにとって『GRAVITATIONAL PULL』以来10年振りとなるニュー・アルバム、『PERFECT WORLD』も発売されることになった。この最新アルバム『PERFECT WORLD』には、中心メンバーのIan James Stewart (g)は勿論、復帰がアナウンスされたTerry Brock (vo)、ファースト・アルバムからIanと共にSTRANGEWAYSを支えているドラマーのJim Drummond、セカンド・アルバム『NATIVE SONS』以降バンドのバックアップ・メンバーとしてバンドを支えてきたキーボーディストのDave “Munch” Mooreも参加しているほか、ニュー・ベーシストとしてWarren Jolly が参加している。そして2010年10月31日、英国ノッティンガム・ROCK CITYで開催されたFIREFEST FESTIVAL 2010に出演して熱いパフォーマンスを披露した。STRANGEWAYSの最新アルバム『PERFECT WORLD』は日本ではボーナス・トラック「Campaign Trail」を収録してアートユニオンのSTAY GOLDから発売されることになった。

STRANGEWAYS
■Terry Brock – Vocals ■Jim Drummond – Drums ■Warren Jolly – Bass ■Ian James Stewart – Guitars ■Dave “ Munch” Moore – Keyboards


PRIME SUSPECT

PRIME SUSPECTイタリアを代表するプログレッシヴ・メタル・バンドのひとつ、EMPTY TREMORやCOSMICS、TWINSPIRITS、更にはKANSASのSteve Walsh(Vo)と組んだメロディック・ロック&メタル・バンド、KHYMERA、そして2002年から2007年にかけてシーンでもトップ・クラスのヴォーカリスト迎えて発表したロック・オペラ・トリロジー、GENIUS(ジーニアス)等の活動で有名なイタリア人ギタリストでマルチプレイヤーでもありコンポーザーでもあるDaniele Liverani (ダニエレ・リヴェラーニ)が、KHYMERA 等で活動を共にするイタリアの若き天才ギタリストTommy Ermolli (トミー・エアモリ)とDario Ciccioni (ダリオ・チッチョニ) と新たに結成したメロディアス・ハード・ポップ・メタル・バンド PRIME SUSPECT。Daniele Liverani (Keyboards)、Tommy Ermolli (Guitars)とDario Ciccioni (Drums)は幾つかのデモを制作した後、ヴォーカリスト探し始めた。そしてFAIR WARNINGのHelge Engelke(ヘルゲ・エンゲルケ) のバンドDREAMTIDEやDanieleとGENIUSで共演したことがあるのOlaf Senkbeilをヴォーカリストに迎え入れた。更にスウェーデンのソングライターでMECCAやJOHNNY LIMA、ON THE RISE等での活動でも知られるChristian Wolff (クリスチャン・ウォルフ)に依頼し 「What Do You Want」と「It Could Have Been You」の2曲をもらい受けた。そしてイタリアのラヴェンナから20kmほどに位置するアルフォンシーネのFEAR STUDIOでレコーディングを開始した。レコーディングのプロデュースは、Daniele Liveraniが自ら担当。そしてミックスとマスタリングは、カリフォルニアのALIEN PRODUCTIONS STUDIOSでKING KOBRA、PAUL SHORTINO、XYZ、TED POLRY、古くは日米ハーフの女性タレント兼ヴォーカリスト、ステファニー等との活動で知られているJeff Northrupによって行われた。クラシック・ロックの要素をたっぷりと含んだヨーロピアン・スタイルのメロディック・ロック・アルバム『PRIME SUSPECT』はこうして完成した。そしてアルバムはイタリアのFRONTIERS RECORDSから発売。日本ではアートユニオンのSTAY GOLDからボーナス・トラックを2曲収録して発売されることになった。

■Daniele Liverani : 6歳からピアノとクラシック音楽を学び17歳でギターを手にした。1988年、19歳の時に自身初のギター・プロジェクトとしてファースト・デモ『ME AND MEE TOO』を制作~クラシックを基調にしたDanieleのプレイがイタリアの音楽誌でニュー・ギター・ヒーロー誕生として紹介された。1989年にセカンド・デモ『THE LAST GIFT OF MY TEENS』を発表、1990年になると自身のバンドOTHERWAYで活動する傍らサード・デモ『HOLDING THE SUN OF MY LIFE』を発表。1991年にはクラシック音楽からプログレッシヴな方向へ転換した4thデモ『THE WHEEL OF EMOTIONS』を発表。そしてプログレッシヴ・メタル・バンド、EXARULEを結成。1992年には5thデモ『LOVING THE HUMAN RACE』を発表。1993年にはローマで150人参加のギター・コンテストで優勝してロサンゼルスのG.I.T.でレッスンを受けた。1994年からはRAISING ROADというプログレ・メタル・バンドでドラムをプレイし始めた。1995年にはロサンゼルスに戻り『NEARLY GOLD EMOTIONS』を制作。同年からキーボードを弾き始めイタリアのEMPTY TREMORで活動を開始した。1998年にDario Ciccioni (Drums)に出会う。1999年にソロ・アルバム『VIEW POINT』を発表したほか、GENIUS ROCK OPERAのコンセプトにもなった、インスト・アルバム『DIARY TRAUMA』を発表。2000年になるとDREAM THEATERのトリビュートアルバム『VOICE』:にEMPTY TREMORが参加したほか、EMPTY TREMORのセカンド・アルバム、『EROS AND THANATOS』を発表。2002年になるとGENIUS ROCK OPERAの第1弾を発表したほか、JASON BECKERのトリビュート・アルバムへも参加した。2003年になるとSteve Walshと組んでストレートなメロディック・ロック・バンド、KHYMERAのファースト・アルバムを発表した。2004年にはFRONTIERS RECORDSからEMPYU TREMORのサード・アルバム『THE ALIAN INSIDE』を発表したほか、GENIUS ROCK OPERAのセカンド・エピソードも発表した。2005年には、KHYMERAのセカンド・アルバム『A NEW PROMISE』をリリース。2007年には三部作GENIUS ROCK OPERAのラスト・エピソードを発表したほか、フィンランドのLION MUSICからニュー・バンド、TWIN SPIRITSのデビュー・アルバムを発表した。2008年はKHYMERAのサード・アルバム『THE GREATEST WONDER』とCOSMICSのアルバム『THE COSMI YEARS』をリリース。2009年にはTWIN SPIRITSのセカンド・アルバム 『THE FORBIDDEN CITY』を発表した。 2010年12月にPRIME SUSPECTのデビュー・アルバム『PRIME SUSPECT』を発表。2011年にPRIME SUSPECTのデビュー・アルバム『PRIME SUSPECT』にボーナス・トラックを収録して日本で発売。
■Tommy Ermolli : 1988年生まれのイタリアの若き天才ギタリスト。音楽一家に生まれたTommyは10歳の頃には、既に音楽に夢中になっていたという。そしてMarco Fanton, Massimo Varini (Nek, Laura Pausini, Vasco),やPaolo Rettore 、Alessio Menconi (Billy Cobham, Paolo Conte).といった人達からプライヴェート・レッスンを受けた。その後BBC放送の音楽担当や映画音楽にも携わっている、Simon Whitesideが開催したロンドンのフィルム・アカデミーに参加。その過程を終えたほか、コンテンポラリー・ミュージックの課程も終えた。その後イタリアで、Daniele Liverani と共にKYMERAやTWIN SPIRITSで活動。ライヴ活動のさなか、イタリア国内でも重要とされる3つのギター・フェスティヴァル (Guitar Fest、Guitar Day IV、Guitar Days VI)にてPaul Gilbert, Mattias Eklundh, Michael Angelo等とステージをシェアしたという。2010年には、Celine Dion, Whitney Houston, Lady GaGaなどの作品でヴァイオリニストとして活躍しているRobin Olson作曲によるクラシック・シンフォニーにギタリストとして参加した。
■Dario Ciccioni : 1984年生まれ。’88年にディズニーのおもちゃのドラム・キットを叩く。その3年後の7歳の時に正式なドラム・キットを手に入れ、公の場で演奏しはじめた。Danieleに出会ってからGENIUS ROCK OPERAやKHYMERA、TWIN SPIRITSで活動するほかイタリアのプログレッシヴ・メタル / スラッシュ・メタル・バンド、empYrios、Oliver Hartmannのバンド、HEARTMAN等でも活動。
■Olaf Senkbeil : 90年代にアルバムを2枚発表したドイツのH.R. / H.M.バンドJACK’S HAMMERをはじめ、GINUUS ROCK OPERA、FAIR WARNING のHelge Engelkeを中心に結成されたDREAM TIDEのヴォーカリストとして活躍しているほか、HELLOWENの7 Sinnersをはじめ多くのアルバムにもゲスト参加している。Tommy HeartとSteve Perryを重ねた様な歌声と言われている。

[Line-Up]
Daniele Liverani (Keyboars) Tommy Ermolli (Guitars) Dario Ciccioni (Drums) Olaf Senkbeil (Vocals) Mauro Catellani (Bass)


VEGA

2009年5月に英国のロック・フェスティヴァルを訪れたJames Martin (ジェイムス・マーティン)とTom Martin (トム・マーティン)のMartin兄弟とドラマーのDan Chantrey (ダン・チャントレー) はフェスティヴァル会場でNick Workman (ニック・ワークマン) に再会した。Marin兄弟とNickは遡ること10年前にTHUNDERの最初のフェアウェル・ツアーで一度出会ったことがあったという。フェスティヴァル会場では映画や音楽の話をして和んでいたが、最終的に、Martin兄弟はNickに 「俺達はいつになったら一緒にバンドを出来るんだ?」と話を投げかけた。Nick はMartin兄弟に対して返答を待たせることはなく再会した翌日に、VEGAは誕生した。VEGAはスタジオに入り25曲を書き上げた。そして最高の状態でレコーディングに取り組もうとした結果、英国のトップ・レコーディング・スタジオとしても挙げられるヨークのオークウッド・スタジオ (OAKWOOD STUDIO)にてQUEENで有名なTom Lord Alge (トム・ロード・アルジ) のエンジニアとして名を馳せたJohn Greatwood(ジョン・グレイトウッド) をプロデューサーに迎えてレコーディングを行った。Johnは、英国・ヨーロッパのTOP10アルバムやシングルにも多く携わっている。レコーディングが終了するとロンドンのヘレナ・ロード・スタジオ (HELENA ROAD STUDIO)でミックスを行い、マスタリングはドイツでPINK CREAM 69でお馴染みのDennis Ward (デニス・ワード) の手によって行われた。完成したアルバムは、『KISS OF LIFE』と名付けられてイタリアのFRONTIERS RECORDSから発売された。そして日本盤は、アートユニオンのSTAY GOLDからボーナス・トラック「Here Comes The Rain」を収録して発売されることになった。

■NICK WORKMAN : 1999年にBEAST RECORDSからデビュー・アルバム『CONSIDER THIS…』を発表したKICKのヴォーカリスト。KICKはセカンド・アルバム『SWEET LICK OF FIRE』(’01 : NOISE SOLUTION RECORDS)、『NEW HORIZON』(’04 : MAJESTIC ROCK)と現在までに3枚のアルバムを発表。またEDENのヴォーカリストとして『OPEN MINDS』(’06 : MAJESTIC ROCK)、『OBLIVION』(’08 : Z RECORDS)、『INTO THE WITHIN』(’10 : Z ROCK RECORDS)にもヴォーカルで参加したほか、KICKのChris Jones (クリス・ジョーンズ), Mikey J(ミッキー・J)等と結成したWILDKARDで『MEGALOMANIA』(’07 : ESCAPE MUSIC)を発表するなど豊富な声量とハイトーンを駆使した安定した歌声で英国のメロディック・ロック / ハード・ロック・シーンを代表するヴォーカリストとしてファンから支持を得ている。
■JAMES “DAVID” MARITIN and THOMAS “RICHARD” MARTIN : 1977年12月2日生まれの双子の兄弟。VAN HALENのビデオを見てJamesとTomは共に15歳の時にギターを弾きはじめた。JamesとTomは元BIG GUNSのギタリストPhil O’Dea (フィル・オディア)、BETTY CURSEのドラマー、Chris Prendergast(クリス・プレンダーガスト)とSUGARTOWNというバンドで活動をはじめて2枚のEPをレコーディングして共に好レビューを得た。そしてドイツのAOR HEAVENからオファーを受けたが、契約には至らずバンドは解散。その後SUGARTOWNは再結成してEP『THE NEXT BIG THING』をレコーディングするが再び解散。2001年になるとヴォーカリストにAlistair Griffin(アリステア・グリフィン)を迎え3曲入りCDをレコーディング。オリジナル曲とカヴァー曲を交えながら地元でもあるヨークを中心にライヴを行っていたが2003年にAlistair Griffinが脱退。2004年にMartin兄弟は、旧友Pete Lauda (ピート・ラウダ) とノッティンガムのドラマー、Daniel Chantrey 、バーミンガムのヴォーカリスト、Scott Dean(スコット・ディーン)と共にKRYAHを結成。2004年~2005年にかけ
てロンドンのASTORIAでの公演を含む英国ツアーを行った。またSTONE ROSESのIan Brown(イアン・ブラウン)の作品などに関わっているMarc Lane (マーク・レーン)をプロデューサーに迎え3曲入りEPもレコーディングした。しかしScott Deanがソロ活動を望んだ為バンドは解散。2006年にはTHE KILLERSやNEW ORDERの様なエレクトロ・ポップ&ロック・バンドTHE STATION CLUBを結成。3年程活動をしたがヴォーカルのMike Wilson(マイク・ウィルソン) が脱退。そして2009年に、’04年からMartin兄弟と活動を行ってきたDaniel Chantreyとコンサート会場で再会したNick Workmanの4人でVEGAを結成。またMartin兄弟はソングライターとしても多くの楽曲に携わっており、その中には、KHYMERAのセカンド及びサード・アルバム、HOUSE OF LORDSの5thアルバム、Ted Poleyのアルバム『SMILE』、Joe Lynn Turnerのアルバム『HOUSE OF DREAMS』なども含まれているほか、最近でも元HAREM SCAREMのHarry HessのバンドFIRST SIGNALに「Into The Night」、「This City」、「First Signa」lの3曲を提供した。 また日本でもアルバムリリース前から話題となったノルウェー出身の美形女性シンガー、ISSA (Isabell Overspin)のデビュー・アルバム『SIGN OF ANGELS』で「River Of Love」、「As I Live And Breathe」の2曲(2曲共Nick Workmanも参加)を提供するなど、メロディック・ロック / メロディアス・ハード・ロック・シーンを代表するソングライターとして多いに注目を浴びている。
■DAN CHANTREY : ノッティンガム出身の。Martin兄弟が2004年に結成したバンド、KRYAHに加入。THE STATION CLUBでも活動するなど、Martin 兄弟を支えるドラマー。

[Line-Up]
Nick Workman (Vocals) James Martin (Keybords) Tom Martin (Guitars / Bass) Dan Chantrey (Drums


HOLY FORCE

HOLY FORCEは、台湾出身のギタリスト、ANGO CHEN (アンゴ・チェン)を中心に結成された。アンゴは、LOUDNESSやYNGWIE MALMSTEEN、JOE STUMP等との活動で知られるヘヴィ・メタル・ヴォーカリスト、MIKE VESCERAとのコラボレーションを筆頭に、数多くのミュージシャンと共演してきたポップスからヘヴィ・メタルまで全てのジャンルで通じるギタリストだ。アンゴは自らのバンドを結成~アルバムを発表しようとメンバーを探し始めた。そしてアンゴが目指すネオ・クラシカル・メタル / ヨーロピアン・スタイルのメロディック・パワー・メタルを具体化する為に集められたメンバーはヘヴィ・メタル・シーン屈指のラインナップと言ってもよい凄腕達だった。

■VOCALS : MARK BOALS (マーク・ボールズ) 子供の頃からピアノ、ベースを学ぶものの自らが自分自身の声域の広さに気づいていてヴォーカリストとして活動をはじめる。彼の名前が知られる様になったのは、YNGWIE J. MALMSTEENとの活動によるものが大きい。その後、RING OF FIRE、デンマークのROYAL HUNT等で活動。常に声質・声域共に素晴らしく、ヘヴィ・メタル界にとっては至宝のヴォーカリストとして誰からも認められている。
■BASS : MIKE LePOND (マイク・レポンド) 13歳でベースを弾きはじめ、1999年までDEAD ON ARRIVALなど、無名のバンドで活動を行った。その後、THOMAS MILLERの後任としてSYMPHONY-Xに加入。2000年に発表された『V: THE NEW MYTHOLOGY SULTE 』以降、SYMPHONY-Xで活動をしている。またSEVEN WITCHESやOPERATIKA、ARCHITECT等にも参加している。
■DRUMS : KENNY EARL “RHINO” EDWARDS (ケニー・アール・エドワーズ / 通称ライノ) カントリー・ミュージックの中心地、テネシー州ナッシュヴィルで育ったライノだったが、自分の身体にはヘヴィ・メタルの血が流れていると知り9歳からドラムを演奏しはじめた。プレイは独学で自分の好むヘヴィ・メタル・アルバムに合わせる様にダブル・ベース・ドラムを蹴り続けた。ローカル・バンドでプレイしていた中、1989年にMANOWARは、ライノが在籍するARCH ANGELというバンドを発見した。そしてMANOWARに加入~アルバム『THE TRIUMPH OF STEEL』(‘91年レコーディング、’92年リリース) 発表。1992年~1995年に日本を含むワールド・ツアーにも参加したが1995年に個人的な理由でナッシュヴィルに戻らなくてはならなくなり脱退。ローカル・バンドでプレイするなか、2005年にHOLY HELLでシーンに復帰。2008年にはMANOWARの25周年記念ツアーに参加。また2007年にはANGELS OF BABYLONを結成~2010年にファースト・アルバム『KINGDOM OF EVIL』を発表。

そして完成したアルバムは、スピーディーかつドラマティックなフレーズが矢継ぎ早に繰り出されるメロディック・パワー・メタル / ネオ・クラシカル・メタル作品に仕上がった!