From the monthly archives: 8月 2015

友人であり作家の滝口悠生さんに、ニューアルバムについての文章を書いて頂きました!

———————————————————————————————————————-

「夜と火」によせて
 滝口 悠生

  大野くんから電話が来て、夜更けに家を出る。
  人も車も通らない、暗い住宅街の道。近所の古い家の庭に立つ大きな木に葉が繁り、荒々しい真っ黒なシルエットを見るといつも、子どもの頃に愛読していた「三匹のやぎとがらがらどん」という絵本の絵を思い出す。三匹のやぎが、吊り橋を渡って谷の向こうの野原に行くのだけれど、谷にはがらがらどんという化け物が棲んでいて、やぎが吊り橋をわたる邪魔をする。たしかスウェーデンかどこかのものであるこの絵本の絵は、やぎも、風景も、谷底に棲む化け物も、黒や暗い色が強めの荒々しい線で描かれていて子ども心にも不気味な印象だった。今となってはなぜあの絵本ばかり好んで読んでいたのかわからない。というか、本当に好んでいたのかわからない。
  先日友だちの子どもに絵本を贈ろうと神保町の絵本屋さんでこの本を探したら、昔読んでいたのとまったく変わらぬデザインのものが今も売っていた。が、あらためて見るとタイトルは「三匹のやぎと」ではなく、「三匹のやぎの」で、ページを開いて読んでみると「がらがらどん」は化け物ではなくやぎの名前だった。三匹とも「がらがらどん」という名前なのだという。そうとわかればそうだった気がするし、実際そうだったのだ。友だちの子どもも、この本を繰り返し読んで、不気味な印象を幼い頃の記憶として残し、一方でやぎが三匹とも同じ名前であることや、その名も「がらがらどん」であることを忘れてしまうかもしれないと思うと、なにか彼女の将来に呪いでもかけているような気がしてくる。その気持ちを、彼女が今の自分くらいの年になる頃まで覚えていられるだろうか。記憶の呪いはとけることはない。忘れることはいくらでもあるけれど。
  通りの方から、車やバイクの音が遠鳴りのように聞こえ、歩きながらそちらに顔を向けると夜空の下がぼんやり明るい。また近くに目を戻し、緑道に入ると、まばらな街灯は道の両側に生い茂る木の枝葉や草に吸収されるみたいでいっそう歩く道は暗くなった。緑道というのはたいてい、昔川だった場所を埋め立てたり、川を暗渠にしてできたもので、だから道路と緑道の交差する場所になんとか橋という名前が残っていたりする。元々川だったから土壌の湿度が高いのか、別にそれとは関係なく他に行き場がないだけなのか、初夏の頃にはカエルが多い。真っ暗な土の上に目を凝らすと、石か積もった枯れ葉に思えたかたまりが濡れた肌をゆっくり上下させ、わずかに光を映す瞳がこちらを見ていたりする。車道を危なっかしくべったんべったん飛び跳ねながら移動していく者もいて、危ないよ、車にひかれちゃうよ、と後ろから足音立てて追いかけて、土の地面や植え込みに追い込んでいく。跳ねた先でぼちゃんと音がしてそんなところに水が流れていなかったはずなのにと真っ黒な植え込みのなかを覗き込むと、記憶の底は簡単に抜けて、これはいつのことだったのか、どこのことだったのか、はっきりわからなくなる。
  大野くんがうちに来たのは何年か前の暮れで、たしか十二月三〇日の夜中だった。これから行っても大丈夫かな、と電話が来て、ケーキを持って自転車でやって来た。それでその時に最近は軍事遺跡を探しながら近所を歩きまわってる、と言っていたから、うちにあった遺跡や化石の本をあげたらよろこんで持って帰った。ある日は夕方にメールが来て、近所をさまよってるけど今どうしてるかな、というので下高井戸の喫茶店で待ち合わせたら数百円しか持ってないからと歩いてやって来て、その少し前に発表した小説をとても好きだと言ってくれた。京都で録音してきた音源を聴き直しながら、その日は延々外を歩いていたのだという。喫茶店を出てふたりで夜の住宅街をうろうろ歩いた。あ、猫だ、あ、神社だ、と何か見つければそちらへ進んでいく。京都の話や、高知の話を聞きながらふたりで歩いた夜の道が、大野くんが自分の曲を聴きながらひとりで歩いていた道だったみたいに今では思えている。
  いくつもの夜を歩いて渡る。誰かに呼び出され、誰かに追い出され、あるいはじっとしていられずに、手ぶらで外に出る。小銭がポケットに少し入っているだけで、歩くたびに小さな音を立て、いつかも聴いたはずの音、と思っていたのか、またいつか聴くはずの音、と思っていたのか、どちらにせよほとんど嘘みたいなものだ。今思っていることだって、嘘みたいなことばかりだ。ほんのわずか、本当らしいと思えた何かがある。けれどもそれも、忘れないようにと歩きながら思い返しているうちに形を変えて、結局嘘みたいなものになってしまう。たしかに何かがあったはずの夜道の景色だけ思い出す。
  道を間違えたのか、そもそも人生を間違えていたのか、出るはずのない川に出る。土手の脇には草が生い茂るばかりで、その向こうも田んぼが広がっている。土手の上のぼろいガレージみたいな建物から明かりが漏れている。バンドの練習小屋らしい。へたくそなギターとドラムの音が壁の向こうから聞こえた。ベースは全然リズムに乗らず、大男が地団駄踏んだような音を響かせていた。何十年も前に外国の若者がつくった音楽を、こんな田舎の夜中の川べりで、高校生たちが練習している。誰も聴いていなかったその演奏は、その夜を過ぎたらこうして誰かの都合のよい空想か記憶違いのなかに紛れ込むくらいしか再生されることはなく、十五年後の彼らも時々その日のことを思い出して、泣きたくなるだろう。
  川にかかる国道を、夜行バスが渡っていく。暗い窓の、カーテンの隙間から刻々過ぎ去る風景を見ていた乗客の男が、夜の川の流れを、明かりの漏れる練習小屋をその目に捉え、土手の上を手ぶらで歩く男の姿を捉え、ああして夜の道をさまよい歩いたいくつもの夜を思い、そのうちのいくつかは死にたいようなつらい夜だったから、あああそこにいるあの人もいつかの自分と同じような夜を歩いているのだと思い、やがてはそんなこと忘れてしまう。明かりが落とされた暗い車内で、他の客たちは寝静まっている。あるいは、自分と同じように眠らずに、眠れずに、窓の外の田舎の夜の景色を見ている人もいるかもしれない。夜行バスの窓からは、世界中のさびしさを全部見ることができる。耳に差し込まれたイアフォンから聞こえる歌がそんなようなことを歌ったのだったか、それとも自分が同じ車内の誰かに向けて内心で呟いたのだったか。バスは橋を越え、見えなくなり、明け方には目的の街へ着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)/小説家
1982年生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。
著書に『寝相』(新潮社)、『愛と人生』(講談社)。
芥川賞候補となった最新刊『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(新潮社)発売中。

 

 

 

 

 

 

 

 

———————————————-

LIVE INFORMATION

『oono yuukiソロアルバム発売&oono yuuki band復活記念 “夜と火の夜”』

2015/8/30(日)渋谷TSUTAYA O-NEST
出演 oono yuuki、mmm band(dr:下田温泉 b:千葉広樹 gt:柱谷 cho&alpha: 見汐麻衣)、oono yuuki band(oono yuuki 、高橋 洋成、 shibacoji、 新間 功人、 mmm、 樺山 太地)
DJ illojillo
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV 2,500 / DOOR 3,000円 + 1drink
*チケットはローソン(L: 77707)、e+(イープラス)、nest店頭にて7/4(土)より発売中です。
http://shibuya-o.com/nest/2015/09

8/30のご予約はこちらのご予約フォームでも承ります。
*確認メールはすぐに返信されます。返信がない場合はお手数ですが「info.kiti@gmail.com」までご連絡ください。
[contact-form-7 id=”905″ title=”2015/8/30 O-nest yoyaku”]